セみ水咽ぶ
五城樓下《ごじやうろうか》の夕まぐれ
高きに登り佇めば
遠く悲雷《ひらい》の響あり
心の空に吹き通ふ
風の恨に誘はれて
色こそ悼め夕雲の
嶺に歸るもなつかしや。

十年《ととせ》は夢かまぼろしか
時の流は絶えねども
レーズの水は世に湧かず
むかしの思忘られで
今はたこゝにわれ一人
夕日の前に佇めば
染むとも見えぬ秋の色に
山々高し水遠し。

  夜

あらしを孕む黒雲に
吐かれて出でし夜半の月
よみの光をほの見せて
片破の影ものすごや。

見えぬ翼に「時」飛びて
迷を散らし夢を捲き
街《ちまた》に烟ぶるともしびは
暗に疲れて眠り行く。

我世の涙そらの露
含みて星も隱れ行く
心の暗に照らざらば
消えよ光の甲斐やなに。

神よ問はなむぬばたまの
「夜」のもすそに包まれて
咽ぶ涙は幾何ぞ
靜けき夢は幾何ぞ。

  小兒

くしく妙なるあめつちの
何に譬へむをさなごよ
清き、いみじき、美はしき
汝がこゝろねを面影を。

薫ほるさゆりの花片に
おくあけぼのゝ白露か
緑色こき大空に
照るくれなゐの夕づゝか。

霞の裾に波絶て
靜けき春のあさなぎか
雲雀の床と萠えいでゝ
野邊をいろどる若草か。

我世の秋の寄するとき
紅にほふかんばせに
愛の光をかゞやかす
なれはのどけき春の日か。

我世のあらしあるゝ時
蕾とまがふ唇に
天女の歌を響かする
汝《な》はそれ生ける音樂か。

人のわびしく老ゆる時
こゝろときめく口づけに
若きいのちを吸はしむる
なれは盡きせぬとよみきか。

人の愁にしづむ時
息柔かくあたゝかく
樂土の風を匂はする
汝はとこしへの花の香か。

  赤壁圖に題す

首陽の蕨手に握り
汨羅の水にいざ釣らむ
やめよ離騷の一悲曲
造化無盡の藏のうち
我に飛仙の術はあり。

五湖の烟波の蘭の楫
眺めは廣し風清し
きのふの非とは誰れかいふ
松菊《しようきく》庭にあるゝとも
浮世の酒もよからずや。

月《つき》江上の風の聲
むかしの修羅のをたけびの
かたみと殘る秋の夜や
輕きもうれし一葉《いちえふ》の
舟蓬莱にいざさらば。

  夏の川

野薔薇にほひて露散りて
夕暮淋しいさゝ川
心の空に消殘る
昨日の春を忍ぶれば
いかに恨みむあゝ夏よ。

螢流れて水すみて
夕暮凉しいさゝ川
心の空の浮雲を
拂ふ凉かぜ音さえて
いかに戀せむあゝ夏よ。

漣織りて月照りて
夕暮たのしいさゝ川
流れ/\て行く水に
秋も近しと眺むれば
いかに惜まむあゝ夏よ。

  青葉城

秋はうつろふ樹々の色に
名のみなりけり青葉山
圖南の翼風弱く
恨は永く名は高き
君が城あと今いかに。

弦月落ちて宵暗の
星影凄し廣瀬川
恨むか咽ぶ音寒く
川波たちて小夜更けて
秋も流れむ水遠く。

別の袖に

別れの袖にふりかゝる
清き涙も乾くらむ
血汐も湧ける喜の
戀もいつしかさめやせむ
物皆移り物替る
わが塵の世の夕まぐれ
仰げば高き大空に
無言の光星ひとつ。

  人の世に

梢離れて雪と散り
母なる土に還り行く
花のこゝろは誰か知る
散りなば散りね人の世に。

汀を洗ひ瀬に碎け
流れ/\て海に入る
水のこゝろは誰かしる
去りなば去りね人の世に。

きのふくれなゐ花の面
けふはたかしら霜の色
時のこゝろをたれかしる
移らば移れ人の世に。

かたみにしぼる憂なみだ
袖にいつしか乾くらむ
戀の心をたれかしる
替らば替れ人の世に。
  ――――――――

  紅葉青山水急流

[#ここから横組み]
[#ここから5字下げ]
〔“Er ist dahin, der su:sse Glaube〕
An Wesen die mein Traum gebar,
Der rauhen Wirklichkeit zum Raube,
〔Was einst so scho:n, so go:ttlich war”〕
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]――Schiller : Die Ideale.
[#ここで横組み終わり]

桐の一葉をさきだてゝ
浮世の空に音づれし
秋は深くもなりにけり。

虫のねほそる秋の野を
染めし昨日の露霜や
萩が花ずりうつろへば
移る錦は夕端山
思入る日に啼く鹿の
紅葉織りなす床の上。

谷間は早く暮行けど
入日の名殘しばとめて
にほふをのへの夕紅葉、
花のあるじにあらねども
山ふところのしら雲に
契るやいかに夜半の宿。

千尋《ちひろ》の谷の底深く
流るゝ川のみなもとは
いづく幾重の嶺の雲
玉ちる早瀬浪の音
都の塵に遠ければ
耳を洗はむ人も無く。

雪より白きたれぎぬを
狹山おろしに拂はして
岸にたゝずむかれやたそ
巫山洛川いにしへの
おもわを見する乙女子は
浮世の人か神の子か。
  ――――――――
かたへにたてる若人の
汀につなぐ舟一葉
浮世の波に漕ぎいづる

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