達政宗に會つた。政宗が
「雨の降る日は天氣が惡うござるが、どうしたものでござるな」
澤庵和尚はヂツと政宗を見た、政宗は瑞嚴寺の和尚に參じて禪も出來た武士である。
「左樣、雨の降る日は天氣が惡う御座るな」
と同じやうなことを澤庵も繰返した。
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ある日鷹狩の歸りに一天俄かに掻き曇り、雨は篠を突くやうにザア/\降つて來た。政宗も家來も濡れ鼠のやうに、眼もあてられない。すると今まで野良かせぎをしてゐたらしい百姓が『雨の降る日にや天氣が惡い‥‥』と大聲で唄つて行つた。
その時、政宗は百姓の聲を聞いて「ははあ、こゝだな」と、初めて澤庵禪師の言葉の意味が分つた。その時の彼の心持は家來共が雨に濡れて困つてゐる樣子を見て氣の毒に思ふ憐みの情以外の何物でも無かつた。つまり我[#「我」に傍点]を捨てたのである、我[#「我」に傍点]を捨ててこそ會得が可能なのである。‥‥』
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私が『隨筆』誌上に書いた時は全くこの事を知らなかつた
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