ら出た煙のように慄えているのだ。
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間。僧徒らもの[#「もの」に傍点]いらえんとするも、舌|硬《こわ》ばりで能《あた》わざるがごとし。唖口の空《むな》しく動けるは死に行く魚等のさまに似たり。
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妙念 (いよいよ激して)なぜ黙っているのだ。己のものを言うのが聞えないというのか。
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再び同じき期待の緊張返り迫る。ただ僧徒らに何らの抗意なく、いたずらに戦慄《おのの》けるのみなると、さきには陰地《かげじ》に立てりし妙念の、今ところを異にして月色の中に輝けると異る。(並びに血のいろと)しかも場に溢れたる景調は、あたかも最前の恐るべき幻影をまた繰り返し見んとするがごときを思わしむ。同一なる恐怖の重複。
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妙念 (全く同一なる怒調)お前たちもやっぱり悪蛇の化性だな。そんなにいくつもの相《すがた》に分れて、この山へ這い上って来たのだな。
妙信 (糸に操《あやつ》られて物言うごとく声音ことごとく変じて)そのような恐ろしい者ではございませぬ。私どもでございます。あなたのお身と同じこの山の僧徒たちでございます。
妙念 そんならなぜ物を言わないのだ。腐れたされこうべ[#「されこうべ」に傍点]のように首を並べて、慄えてばかりいるのは何だ。(間)僧徒たちの姿にのりうつって、この鐘へ取り付こうとするにちがいないわ。自分の名を称《とな》えて見ろ、一所に。
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妙信――
三人の僧徒ら (斉《ひと》しく)妙海――
妙源――
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三者同じき頭音はほとんど高低と不調となく、区々なる尾音おののき乱る。僧徒らみずから私に懐《いだ》きたる恐怖に、まのあたり面あえりしごとく、おのおの疑惧《ぎく》の眼を交う。間。
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第四段
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風の声ようようはげしくなりまさりて、不断に梢《こずえ》を騒がす。僧徒らのうち左位に立てりし妙源は、この時みずから覚えざるがごとく身を退り、後の方坂路を顧みたるがあたかも何ものかを見出でて。
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妙源 や、女の姿が上って来る――
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他の僧徒らまた一顧するや怪しく叫び、期せずして相|捉《とら》う。たとえば恐怖の流れ狂僧の枯躯《こく》を繞《めぐ》り、歯がみして向うところを転ずるごとき、間。
妙念は立てるがままに息たえし死相のごとく、生色をひそめて凝立したりしが、ややありて引き抜かるるがごとく唐突に上手坂路の一角に走り、不安なる期待の間上りくる怪体を窺視《きし》せるや、たちまちにして疑惧を明らかにしたる表情にて。
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妙念 何だそこへかけてくるのは依志子じゃないか。どうしたのだ。
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依志子走り出づ。僧徒ら卑しき犬等のごとく視合《みあ》う。
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依志子 (歳三十に近く蒼白《そうはく》なる美貌《びぼう》。華《はな》やかならざれどもすずしきみどり[#「みどり」に傍点]色の、たとえば陰地に生《お》いたる草の葉のごとくなるに装いたり。妙念に縋《すが》り鐘楼に眼を定め息を切らしつつ)妙念様――鐘は、鐘はどのようでございます。(異変なきさまを見得てやや心落ちつきしがごとく、はじめて妙念の血の色に気づき驚き身を退りつつ)ああ、血が――
妙念 鐘は見る通りまじないほどのひびも入らぬ。(再び怪体なる驕慢《きょうまん》の微笑)その上にもう悪蛇は血の汁も出なくなって、皮ばかりにひしゃげた首をあすこの石の間に垂れているわ。
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依志子|愕然《がくぜん》たる表情。
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妙念 (妙念語り止《や》むことなく)久遠までかかっていた邪婬《じゃいん》の呪いが二十年しかたたぬ今夜、とうとい祈誓の法力で風に散らされて粉のように消え失《う》せてしまったのだ。悪蛇の奴、生白い男体に僧衣をまとって呪《のろ》いに来たのだが、お前の一念がこの鐘を鋳上げたばかりに、己の指の爪という爪にもありがたい仏身の力が充《み》ち満ちて、執念深い鱗の一とひらまで枯葉のように破り散らしてくれたのだ。
依志子 (傷《いた》ましげに妙念のものいえるをうちまもり、また不安なる態に周辺を顧みて)そんなことをおっしゃって、やっぱりそれが悪蛇ではございませぬ。あの銀のようにつめたい蛇身
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