で幾人《いくたり》もぬけ出した者はあるのだが、一人として麓へ行きついた者はない。盲目《めくら》にされても降り得ようほど案内知った道でありながら、誰も彼も行き迷うたあげく斃《たお》れてしまうのが、ほど経て道ばたへむごたらしい屍骸《しがい》になって知れるのよ。寺僧も多勢《おおぜい》いたのだが、そんな風に一人減り二人減って、今では和尚のほかにわしたち三人が残るばかりになってしまったのだ。
若僧 (絶望の悲しみを帯べる語調)それではこの山に一度上った者は、どのようにしても降りることが出来ないとおっしゃるのでございますか。もう私も、こうしてその悪霊が忍んで来るのを、怪しい息を吐《つ》きながら怖《おそ》れに汗ばんだ木や石なぞと一所に、今か今かとまつよりほかはどうすることも出来ないのでございましょうか。老僧様、私は不壊《ふえ》の知識を求めて上って来たのでございます。ゆうべも日高川からこっち誰にも人にあうことがなかったので、こんないまわしい山とは知らず、足元から崩《くず》れ落ちる真黒な山路も、物の怪《け》のような岩の間を轟《とどろ》き流れる渓川《たにがわ》も、慣れない身ながら恐れもなく、このような死人の息さえきこえぬ山奥で、金剛の道をきくばかりにほど遠い磯辺《いそべ》の家をも捨てて来たのだと思いながら、知恵のよろこびにもえ立ってひた上りに上って来たのでございます。それですのに私は、もう仔細も知らぬ呪いの網につつまれて、どのようにしても遁れることの出来ない身になったのでございましょうか。老僧様。
妙信 不愍《ふびん》なことだが草木までも呪われたこの山にはいったからは、もうどのようなことを願うても叶《かな》いはせぬ。仔細といってもやっぱりもとは邪婬の煩悩《ぼんのう》だが、もう二十年も昔になる、ちょうどこんな息の苦しい五月ごろの晩だった。思いをとげたい一心を欺かれた怨《うら》みから、清姫というようよう十四になった小娘が生きながら魔性の大蛇《おろち》になって、この山へ男のあとを追って来たのだ。和尚のはからいに男を伏せてかくまったこの鐘よ、硫黄《いおう》色の焔《ほのお》を吐きながらいく廻《めぐ》り巻くかと思ううち、鐘も男も鉛のようにどろどろ溶けてしまったわ。まだ和尚も年は若く堅固な道人の時で、見事に魔性を追い払ってはしまったが、その場のはからいに怨みを残して、執念というものがあの頭の中へ、小
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