。それほどの筋にならずとも、胸元を抑へられて、小突き廻はされるぐらいの小波瀾は、到底まぬがれ得ないところで、かうなると大の男である亭主も、小の女である女房の前に頭が上がらない。昔の封建日本は男性横暴だつたといふが、必ずしもさうでなかつたことは、維新のころの駐日英国公使だつたオルコック氏の『大君の都』といふ書物をみるとわかる。それにはこの亭主平謝まりの図が細密に描かれて「恋文発覚の図(ラヴレタア・ディスカヴァド)」と説明されてゐる。

 秘めてゐるつもり、隠して抜かりのないつもりが、明日ありと思ふ心の仇桜で、いつどんなことになるかわかつたものではない。あるオペラ一座が『カルメン』を上演した。御承知のとほりあの中では、ミカエラが手紙をもつて現はれる。ホセをみつけてそれを渡す。お母さんからのお手紙よといふ。ホセは開いて、あゝ、懐かしの母上からと唄ふ。あの場面のときだが、ミカエラ役の女優ははたと当惑してしまつた。その手紙をもつて出るのをうつかり忘れてしまつたからである。あゝ、どうしたらいゝだらう? ところが一通持つてゐるにはゐた。がそれは小道具の手紙ではない。彼女自身が肌身につけて持つてゐた本
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