などといふのはどうか。作り話と聞えるだらうが、これも実話である。やがて日が暮れ暗くなつて帰るとき、そこの石段のところ足許が危いから、たいまつを灯しませうと、これもそれをぐるぐると巻いて燃やしつけて送り出したと、さる友人の偽はらぬ打ち明け話なのである。それでその女の人は、それと気づいてゐたのかと尋くと、さあどうだらうなと、友人は笑つただけだつた。

 旦那さんを連れて、昔の恋人だつた男の許を訪ねる。などといふ女性心理、これはどうも男にはわからない。が、こんな場合、男は男同士、妙な友情を感じあつたりするものではある。これは女にはわからん機微かもしれぬ。かうなると、所詮、男は男で、女は女といふことになるか。
 ベートォヴェン、彼はよく女に恋した。恋した熱情をガソリンにして音楽を作り上げたといつてもいゝ、有名な『月光曲』もさうである。ところで、この『月光曲』を彼に作らせた女の人は、単純なフラッパァであつたらしく、まもなく彼の許から遠のいて、ある伯爵と結婚してしまつた。その後ベートォヴェンは以前よりも一層有名な音楽家になる。ワイマール大公やその他当時の貴族たちの尊敬をうける。そこで彼女は伯爵をつれて彼の許を訪れた。伯爵のために何かと骨を折つて貰はうといふ虫のいゝ魂胆からである。人のいゝベートォヴェンは、その通りにしてやつたらしい。とにかく彼と伯爵との間には友情が結ばれた。だが彼は、その伯爵夫人をひどく『軽蔑』してゐたといはれてゐる。『恋愛』から『軽蔑』へと、これほどの大きな転落もないだらう。
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覆水無収日
去婦無還時
相逢但一笑
且為立遅々
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といふ詩が中国の小説の中に出てくる。こぼれた水は戻るまい。逃げた女は帰るまい。逢つても笑つたきりである。しづかに立つたきりである。といふほどの意味だとおもふが、朱買臣の妻といふ話が中国にある。朱買臣といふのは貧乏人の子だつたが、ひどく学問好きで、本を読むことを好んだ。営々と稼ぐことを忘れてゐたから貧乏がよけいひどかつた。その妻その貧乏を恥ぢ、つひに彼を罵つて去る。ところが朱買臣はその勉強の甲斐あつて科挙に及第した。出世して大官となる。昔の妻を探し求めると、彼女は身を落して道路工事の女土方になつてゐた。引き取らうとすると、おのが愚を悔んで自ら縊れて死んでしまつたといふのである。ベートォヴェンに
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