私の心境を表現したのである。
 新聞を手にすると先づ、何よりもあの一番後の頁、あそこを見ることにしてゐる。バルカン諸王国の運命も気にかゝらんことはないが、それよりも『貸家』といふ案内広告である。しかし近頃は『貸家』よりは『売家』の方が多い。『貸家』が二件なら『売家』の方は二十件である。だからその結果として『求貸家』といふのがすばらしく並んでゐる。当然の比例で『求売家』といふのは見当らない。世の中の方則といふものは整然と行はれてゐる。泰平なものだなと思ふ。
 泰平ではあるが私には、なぜこの売家と貸家とが『家屋』といふ一つの欄に収められてゐるのかが判らない。借りなければならない人間に買へる筈はない。同じ家屋ではあるがこの二色は極楽と地獄みたいな相違である。新聞社にしてこんなことに気づかないとは可笑しすぎる。
 それはそれとして手頃な広告を見つける。だがこれが見つかつたとて、すぐさま、手頃な貸家が見つかつたことにはならない。厭でもそこまで足を運ばなければならない。判りにくいところを、円タクでぐる/\廻る。メーターの方は黙つてカチリ/\と出るだけだが、運転手の方は黙つてゐない。いゝ加減にしてこ
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