諸君、それにしても諸君は、こゝで一つの御不審をお抱きになりはしなかつたであらうか? それほどまでの長者の店子となりながら、どうしてこの私はその恩寵から今は離れてしまつたのかと。
私は近頃になつて、人生に対する見方を訂正しはじめてゐる。自由は決してわれ/\の幸福ではない。頻りに催促されたりすることは決して愉快なものではないが、しかしそのためにわれ/\は常凡に軌道の上を間違はずに走ることが出来るのである。時代は自由主義といふものから別なものへと移りはじめた。自由といふものの災害が、今ややうやく人々に気づかれはじめたからであらう。早い話がこの私である。あの長者の寛大かぎりなき恩寵の結果、どうなつたかといへば、自然にあの七十二円五十銭を滞らせつゝ、果てはどうにも※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]けなくなつてしまつたではないのか? この間の自然の情理については別に説明する必要もないであらうと思ふ。もしも長者でなく、極めて小心冷酷の債鬼であつたならば、あの二つの敷金も依然敷金として残つてゐ、今日かうして貸家探しなどをして飽いた末に温泉宿へなど来て寝転んでゐることもなく、つまりはその方が何事もなく平和に、安穏に今日までが続いたに相違ない。とするならばこの道話から引き出されて来る教訓は、一体どんなことになるであらうか。折角頌徳の意をもつて私はこの大古風鷹揚の家主さんについて語りはじめたのであつたが。
さて、伊豆の海も暮れはじめた。今日の日はこゝに終る。私もいつまでも温泉宿に寝転んでゐられるものでもない。では明日はまた/\東京に帰つて貸家探しか、さはさりながら時代は変つても、そしてよしやふたゝびあの二進も三進も出来なくなる恩寵の不仕合せに落ち込まうとも、できることならあのやうな長者家主さんにめぐり合ひたいと思ふ。
底本:「日本の名随筆 別巻24 引越」作品社
1993(平成5)年2月25日第1刷発行
底本の親本:「高田保著作集 第三巻」創元社
1952(昭和27)年11月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2007年2月15日作成
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