の辺で下りてくれといふ。家主への手前、折角自動車で乗りつけた豪勢なところを見せたいと考へたのも、それですつかりふいになつてしまふ。それで、どうだね君、用事はすぐ済んでまた銀座の方へ帰るんだが、ちよつと待つてゐて稼ぐ気はないかね? 君だつて空車で帰るよりはいゝだらう。勿論メーターは立て直していゝよ。などと御機嫌をとつてみるのだが、なか/\その手には乗つてくれない。御冗談でせう、近頃の円タクで空車流しをやるやうなそんなトンチキは近頃の貸家よりも目つからねえやうなもんですぜ、などと喰はされる。
 さて、さういふ思ひをしながら、やつと駆けつけた先方の家主だが、これがひどく冷たい。私のとこには空家なんぞ無い筈だといふ顔をする。あゝあれですかいと来る。あれはもうとつくに決つちまひましたよ、といふのである。とつくにといつたつて広告は今朝の新聞ぢやないか。一体いつ決つたんですかと尋くと、午前中ですよ。午前中の何時頃ですかと、物の勢ひでこつちも尋いたつて仕方のないことを尋く。すると、さう午前七時か、七時半か、なにしろ御出勤前だといつて居られましたからなといふ返事である。午前七時、出勤前、なるほどこれでは敵ひやうがない。
 私は勤め人ではない。だから就床とか起床とかについてだけは自由主義者だ。春眠暁をおぼえず、別にその季節に限つたこともないが、毎朝の新聞といつても、それを手にするのは大概正午の時報前後だ。それからゆつくり顔を洗ふ、落ちついて朝飯を認める。しづかに珈琲を啜る。かうして私のその日がはじまる。だから広告を見て駆け付けたといつても、午後の三時は過ぎてしまつてゐる、七時と三時では四時間の違ひのやうだが、午前と午後だから八時間だ。一日八時間の労働とすれば、正に一日だけ遅れてゐるやうなものだ。さすがの私もつくづく引け目を感じる。折柄街ではもう夕刊を売つてゐる。『アルバニア王蒙塵す』と大きく書いたビラが、アルバニア人のやうな顔をした老人の夕刊売りの前でひら/\してゐる。だが私にはもう、バルカンの運命などどうだつていゝ。そんな事をでかでかと報道するよりも、あの『案内広告』といふやつを夕刊の紙面へ移してくれた方がどんなにありがたいかしれやしない。夕刊だつたら出勤前の駆付けでは遅いことになる。どうしたつて退勤後といふことになる。それだつたらこの私にだつて競争ができるだらう。
 
 いまのやう
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