唖の泥棒がおしこめられてゐたことに、はじめて気がつきでもしたやうに、あわてゝバケツへ少しばかりの飲水を入れ、錫の水飲みをそへて持つていきました。
唖は、手をふりあげたり口をあけたり、種々さま/″\の手ぶり手まねをして、そんな水なんぞが何になる、食べるものをくれろ、分らないのか、おい食べものだよ、といふ意味をくりかへし/\して見せました。しかし、ぼんやりぞろひの看守人たちには唖のすることが、ちつとも通じません。そのうちに、唖は、一人の看守に向つて、両手を寝台の方へぐいとつきつけました。看守は、寝台をわきへもつていけといふのだらうと合点して、その下にしいてある、ぼろけた、じゆうたん[#「じゆうたん」に傍点]を、めくりとりました。唖はとう/\じれッたさまぎれに前後をわすれて、
「ちよッ、しやうのないばか[#「ばか」に傍点]だね。食ふものをもつて来い。かつゑてしまはァ。」と、どなりつけました。
こんなことから、唖は、すつかりばけの皮をめくられ、警官のとりしらべにも一々答へをしなければならなくなりました。
しらべ上げて見ますと、この犯人は、ちかくのある町のもので、ウ※[#小書き片仮名ヲ、386−上−16]ルター・グリーンウェイといひ、年は二十九、まだひとりもので、おやぢの家に寝とまりをし、或商人の家の手代をつとめてゐる男だと分りました。おやぢさんは、薬剤師で、今では薬屋をやめて引つこんでゐるのだといひます。ウ※[#小書き片仮名ヲ、386−上−20]ルターは立派な教育をうけてをり、外国語も四五ヶ国の言葉が話せ、禁酒禁煙家で、ばくち[#「ばくち」に傍点]一つ打つたこともないといふ、それだけを聞くといかにもまじめな人間のやうですが、それでゐて、この四年間に方々で九度も、夜、人のうちへしのびこみ、そのたんびにつかまつて牢屋へぶちこまれた前科ものでした。やらせると何でも出来る器用な男で、製本なぞも上手にやるし、帳づけも出来、監獄では活版工やペンキ工や、高い塔の屋根をなほす屋根屋もやりました。クリッケットといふ球戯にかけてはオーストラリア人のやうにずば[#「ずば」に傍点]ぬけた腕をもつてゐます。
ところが、かゝり官がおどろいたのは、この男が人のうちへ、はいりこむのは、べつに物がとりたいからではなくたゞ、わけもなく、猫見たいにすら/\と、たかい屋根の上なぞへかけ上ることがすきで、と
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