たり、着物についてゐる雪やみぞれをおとしたり、お弁当の中身を見せ合つたりしながら、しづかに雑談をしました。ですから、村のとほくのはてから来る子たちも、始業まへのお祈りと点呼とにも、らくに間に合ひました。
 しかし、今ではさうはいきません。どんな遠くのものでも時間には、きつちり着かなければなりません。今度のドイツ人のクロック先生は、じようだん口一つきゝません。八時十五分前から、もう教壇につッ立つてゐます。ぢきわきにはふとい杖がそなへてあります。おくれて来たものはそれでもつてなぐりつけられるのです。だから小さな中庭には、急いでかけつける木靴の音がつゞき、教場の戸口のところで「はい。」と、いきをきらして、あえぎ叫ぶ声を聞かなければなりません。
 このおそろしいドイツ人にたいしては、何一つ、にげ言葉がきゝません。「母さんが洗濯場に下着をはこぶのを手つだつてゐましたから」とも「父さんについて市場へいつたので」とも言はれません。クロック先生は何にも耳に入れてはくれません。この情のない先生の目からは、私たちは、家も家の人もなく、たゞドイツ語ををそはるために、そしてふとい杖でぶたれるために、わきの下に
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