や初やなどに会うのが気になった。二人が何とか藤さんの身の上を語って、千鳥の話を壊《こわ》しはしまいかと気がもめた。
小母さんは帰ってくるやいなや、
「あなたお腹《なか》がすいたでしょう。私気になって急いで帰ったのでしたけど」と、初やにお菜《さい》の指図をして、
「これから当分は何だかさびしいでしょうね。まったく不意にこんなことになったのですよ」と、そろそろ何か言いだしそうであったから、自分はすぐ、
「あの豆腐屋の親爺さんは、どういう気であんなに髯《ひげ》を生やしているんでしょう。長い髯ですね」と言って、話の芽を枯らしてしまった。
それ以来小母さんたちがちょっとでも藤さんの事を言いだすと、自分はたちまち二日の記憶を抱いて遁《に》げて行くのであった。どんな場合でもすぐ遁げる。どうしても遁げられない時には、一生懸命にほかのことを心の中で考え続けて、話は少しも耳へ入れぬようにしていた。後には、小母さんも藤さんの事は先方から避けていっさい自分の前では言わなくなった。初やも言い含められでもしたのか、妙に藤さんの名さえも口に出さなかった。二人で何とか考えての事かもしれないと思ったが、そんなことはどうでもよかった。聞かされさえしなければいいのである。その後小母さんからよこす手紙にも、いつでも自分がいたころの事をあれこれ回想していながら、今に藤さんの話は垢ほども書いてはこない。
以来永く藤さんの事は少しも思わない。よく思うのは思うけれど、それは藤さんを思うのではない。千鳥の話の中の藤さんを思うのである。今でも時々あの袖を出してみることがある。寝つかれぬ宵なぞにはかならず出してみる。この袖を見るには夜も更けぬとおもしろくない。更けて自分は袖の両方の角を摘《つま》んで、腕を斜に挙げて灯《とも》し火の前に釣るす。赤い袖の色に灯影が浸みわたって、真中に焔が曇るとき、自分はそぞろに千鳥の話の中へはいって、藤さんといっしょに活動写真のように動く。自分の芝居を自分で見るのである。始めから終りまで千鳥の話を詳《くわ》しく見てしまうまでは、翳《かざ》す両手のくたぶれるのも知らぬ。袖を畳むとこう思う。この袂《たもと》の中に、十七八の藤さんと二十ばかりの自分とが、いつまでも老いずに封じてあるのだと思う。藤さんは現在どこでどうしていてもかまわぬ。自分の藤さんは袂の中の藤さんである。藤さんはいつでもあり
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