って一《ひ》と言《こと》別れがしたいようである。このままでは物足りない。欺《だま》されでもしたようにあっけない。駈けつけてみようかしらと思うけれど、考えると、その伴れに来た人間に顔を見られるのが厭である。何だか無性に人相のよくない人間のような気がしてならない。それが怪しげな眼つきをしてじろじろと白眼《にら》みでもすると厭である。また船が出た後であっては間抜けている。そして小母さんに自分などは来なくてもいいのにと思われると何だかきまりが悪い。こう思って決心がつかない。しばらくぼんやりと立って、その伯父さんの顔を考えてみる。これまで見たことのある厭な意地くねの悪い顔をいろいろ取りだして、白髪の鬘《かつら》の下へ嵌《は》めて、鼻へ痘痕《あばた》を振ってみる。
 やがて自分はのこのこと物置の方へ行って、そこから稲妻の形に山へついた切道を、すたすたと片跣足《かたはだし》のままで駈け上る。高みに立てば沖がずっと見えるのである。そして、隣村の埠頭場から出る帆があれば、それが藤さんの船だと思ったからである。上《あが》れるだけ一足でも高く、境に繞《めぐ》らす竹垣の根まで、雑木の中をむりやりに上って、小松の幹を捉《つかま》えて息を吐く。
 白帆が見える。池のごとくに澄みきった黄昏《たそがれ》の海に、白帆が一つ、動くともなく浮いている。藤さんの船に違いない。帆のない船はみんな漁船《りょうせん》である。藤さんが何か考えこんで斜《はすかい》に坐っているところが想われる。伴れに来た人は何にも言わないで、鼻の痘痕を小指の爪でせせくって坐っているような気がする。藤さんはどんな心持がしているであろう。どういうことからこんなに不意に伴れて行かれたのであろうか。小母さんのところに一と月もいたのはどうしたゆえであろうかと、いろんなことが一度に考えられて、物足りないような、いらだたしい心持がする。船から隣村の岸までは、目で見てもここからこの前の岸までよりかはるかに遠いけれど、まだ一里と乗りだしてはいない。自分が畑に永くいさえしなかったら、少くとも藤さんが出かけるところへなりと帰ってきたであろうに。それともなぜはじめから出て行くのを止さなかったろう。いっしょにいる間は別に何とも思わなかったけれど、こうなってみれば、自分は何かしらあなたをいじらしく思うとくらいは言っておきたかったような気がする。このままで永く別
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