ら抜いた絵である。女が白衣の胸にはさんだ一輪の花が、血のように滲《にじ》んでいる。目を細くして見ていると、女はだんだん絵から抜けでて、自分の方へ近寄ってくるように思われる。
すると、いつの間にか、年若い一人の婦人が自分の後に坐っている。きちんとした嬢さんである。しとやかに挨拶をする。自分はまごついて冠を解き捨てる。
婦人は微笑《ほほえ》みながら、
「まあ、この間から毎日毎日お待ち申していたんですよ」という。
「こんな不自由な島ですから、ああはおっしゃってもとうとお出でくださらないのかもしれないと申しまして、しまいにはみんなで気を落していましたのでございますよ」と、懐かしそうに言うのである。自分は狐にでもつま[#「つま」に傍点]まれたようであった。丘の上の一《ひと》つ家《や》の黄昏《たそがれ》に、こんな思いも設けぬ女の人がのこりと現れて、さも親しい仲のように対してくる。かつて見も知らねば、どこの誰という見当もつかぬ。自分はただもじもじと帯上を畳んでいたが、やっと、
「おば[#「おば」に傍点]さんもみんな留守なんだそうですね」とはじめて口を聞く。
「あの、今日は午過ぎから、みんなで大根を引きに行ったんですの」
「どの畠へ出てるんですか。――私ちょっと行ってみましょう」
「いいえ、もうただ今お長をやりましたから大騒ぎをして帰っていらっしゃいますわ」
「さっき私は誰もいないのだと思って、一人でずんずんここへ上ってきたんでした」と言って、お長が手枕の真似をしたことを胸に浮べる。女の人は少し頭痛がしたので奥で寝《やす》んでいたところ、お長が裏口へ廻って、障子を叩いて起してくれたのだと言う。
「もう何ともございません」と伏し目になる。起きて着物をちゃんとして出てきたものらしい。ややあって、
「あなたはこの節は少しはおよろしい方でございますか」と聞く。自分の事は何でもすっかり知っているような口ぶりである。
「どうもやっぱり頭がはきはきしません。じつは一年休学することにしたんです」
「そうでございますってね。小母さんは毎日あなたの事ばかり案じていらっしゃるんですよ。今度またこちらへお出でになることになりましてから、どんなにお喜びでしたかしれません。……考えると不思議な御縁ですわね」
「妙なものですね。この夏はどうしたことからでしたか、ふとこちらへ避暑に来る気になったんですが、――
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