実家《さと》へ帰って死んでしまうと言って、箪笥《たんす》から着物などを引っ張りだす。やがて二人で大立廻りをやって、女房は髪を乱して向いの船頭の家へ逃げこむやら、とうと面倒なことになったが、とにかく船頭が仲裁して、お前たちも、元を尋ねると踊りの晩に袖を引き合いからの夫妻《めおと》じゃないか。さあ、仲直りに二人で踊れよおい、と五合ばかり取ってきた。その時の女房との条約に基《もとづ》いて、店の狐は翌日から姿を隠してしまった。ほかの狐が箱にはいって城下の人形屋から来て、ふたたび店に立ったのはついこの間の事である。今度のは大きさも鼬《いたち》ぐらいしかないし、顔も少し趣を変えるように注文したのであろうけれど、
「なんぼどのような狐を拵《こしら》えてきたところで、お孝ちゃんの顔が元のままじゃどうしてもだめでがんすわいの。へへへへへ」と、初やは、やっと廻りくどい話を切ってあちらへ立つ。藤さんはもう先達も聞いたから、今夜はそんなにおかしくはないと言ったけれど、それでもやはりはじめてのように笑っていた。
話が途絶《とだ》える。藤さんは章坊が蒲団へ落した餡《あん》を手の平へ拾う。影法師が壁に写っている。頭が動く。やがてそれがきちんと横向きに落ちつくと、自分は目口眉毛を心でつける。小母さんの臂《うで》がちょいちょい写る。簪《かんざし》で髪の中を掻《か》いているのである。
裏では初やが米を搗《つ》く。
自分は小母さんたちと床を列べて座敷へ寝る。
枕が大きくて柔かいから嬉しいと言うと、この夏にはうっかりしていたが、あんな枕では頭に悪いからと小母さんがいう。藤さんはこの枕を急いで拵えてから、あだに十日あまりを待ち暮したと話す。
藤さんは小母さんの蒲団の裾《すそ》を叩いて、それから自分のを叩く。肩のところへ坐って夜着の袖をも押えてくれる。自分は何だか胸苦しいような気がする。やがてあちらで藤さんが帯を解く気色《けはい》がする。章坊は早く小さな鼾《いびき》になる。自分は何とはなしに寝入ってしまうのが惜しい。
「ね、小母さん」とふたたび話しかける。
「え?」と、小母さんは閉じていた目を開ける。
「あの、いったい藤さんはどうした人なんです?」と聞くと、
「なぜ?」と言う。
聞いてみると、この家《うち》が江田島の官舎にいた時に、藤さんの家と隣り合せだったのだそうである。まだ章坊も貰《もら》わ
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