湖水の鐘
鈴木三重吉

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)或《ある》山の村に、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)いなご[#「いなご」に傍点]に

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)きら/\した
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

    一

 或《ある》山の村に、きれいな、青い湖水がありました。その湖水の底には、妖女《えうぢよ》の王さまが、三人の王女と一しよに住んでゐました。王さまは、夏になると、空の青々と晴れた日には、よく、小さな妖女たちをつれて、三人の王女と一しよに、真珠の舟に乗つて出て来て、湖水の岸のやはらかな草むらへ上《あが》りました。
 妖女たちは大よろこびで、草の中をかけまはつたり、小さな草の花の中へはいつて顔だけ出してお話をしたり、大きないなご[#「いなご」に傍点]にからかつたりして、おほさわぎをしてあそびました。中には、蜘蛛《くも》の網の、きら/\した糸をあつめて、顔かけをこしらへてかぶるものもありました。小さなかはいらしい妖女には、その顔かけが、よくにあひました。
 三人の王女は草の上に坐《すわ》つて、ふさ/\した金の髪を、貝殻《かひがら》の櫛《くし》ですいて、忘れなぐさや、百合《ゆり》の花を、一ぱい、飾りにさしました。三人は、人間の中の一ばん美しい女でさへも、とてもくらべものにならないくらゐの、それは/\たとへやうもない、きれいな/\妖女でした。そのかはいらしい目は、よひの星よりももつと美しくかゞやいてゐました。
 三人は、力のこもつた、うつくしい歌をうたひました。森の小鳥は、みんな、じぶんたちの歌をやめて、うつとりと、その歌に耳をかたむけました。
 王さまはその間、木の洞《ほら》の中にはいつて、日がしづむまで眠つてゐました。王さまはもうずゐぶんの年でした。いつも水につかつてゐる青い髪や、青い長い口ひげは、もはや水苔《みづごけ》のやうにどろどろにふやけて、顔中には、かぞへ切れないほどのしわが、ふかくきざまれてゐました。
 或とき、二三人の旅人が、この湖水のそばをとほりかゝりました。その人たちは、このあたりの景色のいゝのに引きつけられて、湖水のそばへ、神さまの礼拝堂をたてました。
 すると、それを聞きつたへて、毎年方々から、いろんな人がおまゐりに来ました。礼拝堂の番人は、日に三度づゝ、小さな鐘をならしました。
 一たい妖女には、鐘の音がなによりもこはくてたまらないのでした。妖女の王さまや三人の王女や、小さな妖女たちは、その礼拝堂が出来てからは、せつかく岸の草の上へ来てたのしんでゐてもとき/″\ふいに鐘がじやん/\なり出すので、そのたんびにみんな、
「あツ。」と、ちゞみ上つて、おほあわてにあわてゝ、水の下へにげこみました。しまひには、どんなに岸の上の日の光がこひしくても、出て来るのがこはいので、しかたなしに、毎日水の底で、陰気なおもひをしてくらしてゐました。それでも、どうかすると、鐘の音は、その水の下までひゞいて来ることがありました。
 妖女の王さまは、これではたまらないと言つて、いろ/\に考へをこらしたあげく、とう/\、水の中の藻草《もぐさ》の茎をすつかり集めさせて、それでもつて湖水の天井へ一面にあついおほひをつくらせました。そしてその上へ、苔と青い草とをずらりとうゑさせました。ですから湖水の面は、ちやうど、青々したひろい草つ場のやうに見えました。そのおほひには、ところ/″\に窓を開けて、日の光が水の下へさしこむやうにしておきました。
 王さまたちは、もうこれでだいぢやうぶだと思つてよろこんでゐますと、鐘の音は、そのおほひを突きとほして、やつぱりじやん/\聞えて来ます。王さまは、そのたんびに、悔しがつて、ひげをかきむしつて怒り狂ひました。王女や小さな妖女たちは、おびえておん/\泣きました。
 村の牛飼《うしかひ》や羊飼《ひつじかひ》たちは、とき/″\湖水の中から、ふしぎな泣きごゑが聞えるものですから、気味悪がつて、その近くの草つ場へは一人も出てこなくなりました。


    二

 そのうちに、村の或《ある》百姓の家《うち》で、よその土地から来た、牛飼《うしかひ》の若ものをやとひました。百姓は、そのわかものに、湖水のふちの草つ場へはけつしていかないやうに注意しておきました。
 ところが、その若ものは、剛情な男でしたから、さう言はれると、わざと、夜一人で出かけていつて、湖水のふちでたき火をして、そのそばへ寝ころんでゐました。
 すると、間もなく、ふは/\した、緑いろの、びろうどの着物を着た、小さな人が、どこからともなくひよいと出て来ました。見ると、その小さな人は、ぬら/\した青い髪の上に、立派な金の冠をつけて、同じやうな青い色の、ぬら/\したひげを長くたらしてゐました。若ものは、これは水の中の妖女《えうぢよ》の王さまだとすぐに気がつきました。それでも、びくともしないで、
「もし/\、何か私《わたし》に用がおありですか。」と聞きました。
 妖女の王さまは、長いひげから、水をしぼりながら、
「じつはお前さんに金と銀を一と袋づゝ上げようと思つて出て来たのだ。」と言ひました。
「それでは私《わたし》も何かお上げしなければなりませんか。」と、牛飼《うしかひ》は聞きました。王さまは、
「いや/\べつに何にもくれなくてもいゝ。たゞ、どうか、あの礼拝堂の鐘をそつと下《おろ》して来て、あすこに見える、赤い幹の木のぢき下に、湖水の窓が開いてゐるから、そこから、水のそこへ投げこんでくれないか。私《わたし》の持つて来た金と銀は、革の袋にはいつて、その赤い幹の木にかけてある。袋は、私が一しよにいつて下《おろ》さなければ、重くて下されはしない。鐘を投げてくれゝば、その袋を二つともお前に上げよう。」と言ひました。
 若ものはよろこんで、すぐに引きうけました。そしてその晩夜中になつて、礼拝堂の番人のおぢいさんが、ぐう/\寝入つてゐるところを見はかつて、そうつと鐘を盗み出して来ました。
 妖女の王さまは、ちやんと、赤い幹の木の下へ来て待つてゐました。王さまは鐘を手に取ると、まん中に下《さが》つてゐる打金《うちがね》をもぎ取つて、鐘だけを若ものにわたしました。そして、じぶんはその打金を持つて、水の中をわたつていきました。若ものはざぶ/\と後へついて行つて、間もなく湖水の窓のところへ来ると、そこから鐘をどぶんと投げこみました。
 妖女の王さまは、すぐに、木の枝につるしてあつた、二つの袋を下《おろ》して、若ものゝ肩へかけてやると、そのまゝ水の下へ沈んでしまひました。
 若ものは、その袋の重いのにびつくりしました。とても一人では岸の上まではこびきれさうもありません。しかし、一生けんめいに力を出して、うん/\うめきながら、やつと岸までかへりました。
 すると、二つの足が土につくかつかないうちに、からだがひとりでにずん/″\前にこゞまつて、とう/\四つんばひになりました。そして、
「おや。」と思ふ間に、からだがすつかり牡牛《をうし》になつてしまひました。
 その若ものをやとつてゐる百姓は、翌《あく》る朝おきて牛小屋へいつて見ますと、寝てゐた間に、見つけない大きな黒い牡牛《をうし》が一ぴきふえてゐたので、ふしぎに思ひました。
 見ると、その牛の頭には、重たさうな革の袋が二つくゝりつけてあります。百姓はためしに中をあけて見ますと、片方の袋には金が一ぱい、もう一つの方には銀が一ぱいはいつてゐるので、なほびつくりしました。
 すると、牛は人間と同じやうな声を出して、おん/\泣き出しました。百姓はへんな牛だと思ひながら、そのまゝ飼つておきました。
 礼拝堂では、だれかゞ鐘を盗んだと言つて番人のおぢいさんがさわぎ立てました。金と銀をまうけた百姓は、信心のふかい人でしたから、それを聞くと、すぐに、袋の金を出して、べつの鐘を買つて来て、礼拝堂へをさめました。番人のおぢいさんは、その鐘をつるして、ためしに鳴らして見ました。さうすると、ふしぎなことには、その鐘は、まるで泥《どろ》かなんかでこしらへたやうに、いくら鳴らしてもちつとも鳴りませんでした。
 その晩、番人が寝入りますと、夜中になつて、小さな妖女たちが、ぞろ/\といくたりも/\湖水の中から出て来て、みんなで手をつないで、わになつて、礼拝堂の前でとん/\をどりををどりました。
 みんなは、かういふ歌をくりかへし/\歌ひながら、面白さうに、おほさわぎをしてをどりました。
[#ここから2字下げ]
「番人さん/\、
お前のお汁《しる》にや塩気がない。
塩気がない。
そこらのだれかに借りといで、
貸さなきや、蹴《け》つておやりなさい。
じやん/\じやん、
じやん/\じやん。」
[#ここで字下げ終わり]
と、鐘の音のまねをして、鳴らない鐘をつく番人をさん/″\にからかつていきました。


    三

 或《ある》晩、番人のおぢいさんは、神さまが、湖水の下の妖女《えうぢよ》の王の御殿へつれてつて下すつて、盗まれた鐘がかくしてあるのを見せて下すつた夢を見ました。番人は、ふしぎな夢を見たものだと思つて、みんなに話しました。村中の人は、それを聞いて、そんなら、あの鐘はきつと湖水の底にしづんでゐるにちがひないと言ひました。
 だいたんな若ものたちは、その鐘をとり出して来ると言つて、代る/″\湖水のそこへもぐりこみました。しかし、みんな水の下へはいつたきり、一人も浮き上つたものがありませんでした。それは、いたづら好きな妖女たちが、人が水の中へはいつて来ると、片はしから魂をぬきとつて、からのからだを、水草の中へかくしてしまふからでした。
 だいじな息子をなくしたおほぜいの母親たちは、毎日泣いてくらしました。村中の人はこれはきつと、湖水の中におそろしい魔物がゐるのにちがひないと言つて、若ものたちに、一さい湖水のそばへいかないやうに、きびしく言ひきかせました。
 湖水の中からは、月の光の青くさえた、しづかな晩には、何とも言へない、美しい歌の声が聞えて来ました。それは妖女たちがうたふ魔法の力のこもつた歌でした。若ものたちは、その歌の声が聞えると、つい知らず/\引きつけられて、ひとりでに湖水の岸へ出て行きました。
 行つて見ると、湖水の中には、美しい小さな女たちが、きら/\と銀色に光つてゐる水をあびながら、声をそろへて歌をうたつてゐます。若ものたちは、その姿をうつとりと見てゐるうちに、いつの間にかひとりでにざぶ/″\と水の中へはいつて、その女たちのそばへ泳いでいかずにはゐられませんでした。そして、いくとそれなり、みんな水のそこへ沈んでしまひました。
 例のふしぎな黒い牛を飼つてゐる百姓の家《うち》には、三人の息子がゐました。三人は一人づゝ、代り合つて、牛の番をしてゐました。
 或夕方一番上の息子は、牛を草つ場へつれて出て、じぶん一人はずん/″\湖水の方へ出かけました。すると、ふしぎな黒い牛は、それを見て悲しさうな声を立てゝ泣きました。牛はおよしなさい/\と言つてとめたのでした。
 しかし若ものは、平気でどん/\湖水の岸へ行つて、草の上に坐《すわ》つてゐました。すると間もなく月が出ました。そしてそれと一しよに、妖女の王さまの一ばん上の王女が、水の中から姿をあらはしました。
 色のまつ白い美しい王女は、金色の髪に、うす青いすゐれん[#「すゐれん」に傍点]の花冠《はなかんむり》をつけて、かげろふ[#「かげろふ」に傍点]でこしらへた、銀色の着物を着てゐました。そのかはいらしい唇《くちびる》は、ちやうど珊瑚《さんご》のやうな赤い色をしてゐました。若ものは、月の光の中《うち》に浮いてゐる、その美しい妖女を見ると、びつくりして、いつまでも目をはなさずに、うつとりと見守つてゐました。妖女はにこやかにほゝゑみながら、若ものに言葉をかけました。
「牛飼《うしかひ》さん、こちらへ入らつしやい。一しよに私《わたし》のお家《うち》へ行きませう。私のお家
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 三重吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング