ふしぎに思って上を向いて見ますと、かつらの木にきれいな男の方がいらっしゃいました。
 命は、その女に水をくれとお言いになりました。女は急いで玉の器にくみ入れてさしあげました。
 しかし命はその水をお飲みにならないで、首にかけておいでになる飾《かざ》りの玉をおほどきになって、それを口にふくんで、その玉の器の中へ吐《は》き入れて、女にお渡しになりました。女は器を受け取って、その玉をとり出そうとしますと、玉は器の底に固《かた》くくっついてしまって、どんなにしても離《はな》れませんでした。それで、そのままうちの中へ持ってはいって、豊玉媛にその器ごとさし出しました。
 豊玉媛《とよたまひめ》は、その玉を見て、
「門口《かどぐち》にだれかおいでになっているのか」と聞きました。
 女は、
「井戸のそばのかつらの木の上にきれいな男の方がおいでになっています。それこそは、こちらの王さまにもまさって、それはそれはけだかい貴《とうと》い方でございます。その方が水をくれとおっしゃいましたから、すぐに、この器へくんでさしあげますと、水はおあがりにならないで、お首飾りの玉を中へお吐き入れになりました。そういたしますと、その玉が、ご覧《らん》のように、どうしても底から離れないのでございます」と言いました。
 媛《ひめ》は命《みこと》のお姿を見ますと、すぐにおとうさまの海の神のところへ行って、
「門口にきれいな方がいらしっています」と言いました。
 海の神は、わざわざ自分で出て見て、
「おや、あのお方は、大空からおくだりになった、貴い神さまのお子さまだ」と言いながら、急いでお宮へお通し申しました。そしてあしかの毛皮を八|枚《まい》重《かさ》ねて敷《し》き、その上へまた絹の畳《たたみ》を八枚重ねて、それへすわっていただいて、いろいろごちそうをどっさり並《なら》べて、それはそれはていねいにおもてなしをしました。そして豊玉媛をお嫁《よめ》にさしあげました。
 それで命《みこと》はそのまま媛《ひめ》といっしょにそこにお住まいになりました。そのうちに、いつのまにか三年という月日がたちました。
 すると命はある晩、ふと例の針《はり》のことをお思い出しになって、深いため息をなさいました。
 豊玉媛《とよたまひめ》はあくる朝、そっと父の神のそばへ行って、
「おとうさま、命《みこと》はこのお宮に三年もお住まいになっていても、これまでただの一度もめいったお顔をなさったことがないのに、ゆうべにかぎって深いため息をなさいました。なにか急にご心配なことがおできになったのでしょうか」と言いました。
 海の神はそれを聞くと、あとで命に向かって、
「さきほど娘《むすめ》が申しますには、あなたは三年の間こんなところにおいでになりましても、ふだんはただの一度も、ものをお嘆《なげ》きになったことがないのに、ゆうべはじめてため息をなさいましたと申します。何かわけがおありになるのでございますか。いったいいちばんはじめ、どうしてこの海の中なぞへおいでになったのでございます」こう言っておたずね申しました。
 命はこれこれこういうわけで、つり針《ばり》をさがしに来たのですとおっしゃいました。
 海の神はそれを聞くと、すぐに海じゅうの大きな魚《さかな》や小さな魚を一ぴき残さず呼《よ》び集めて、
「この中にだれか命の針をお取り申した者はいないか」と聞きました。すると魚たちは、
「こないだから雌《め》だいがのどにとげを立てて物が食べられないで困《こま》っておりますが、ではきっとお話のつり針をのんでいるに相違ございません」と言いました。
 海の神はさっそくそのたいを呼んで、のどの中をさぐって見ますと、なるほど、大きなつり針を一本のんでおりました。
 海の神はそれを取り出して、きれいに洗って命にさしあげました。すると、それがまさしく命のおなくしになったあの針でした。海の神は、
「それではお帰りになって、おあにいさまにお返しになりますときには、

  いやなつり針、
  わるいつり針、
  ばかなつり針。

とおっしゃりながら、必ずうしろ向きになってお渡しなさいまし。それから、こんどからはおあにいさまが高いところへ田をお作りになりましたら、あなたは低いところへお作りなさいまし。そのあべこべに、おあにいさまが低いところへお作りになりましたら、あなたは高いところへお作りになることです。すべて世の中の水という水は私が自由に出し入れするのでございます。おあにいさまは針のことでずいぶんあなたをおいじめになりましたから、これからはおあにいさまの田へはちっとも水をあげないで、あなたの田にばかりどっさり入れておあげ申します。ですから、おあにいさまは三年のうちに必ず貧乏《びんぼう》になっておしまいになります。そうすると、きっとあなたを
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