の兵をひきまとめるといっしょに、向こうの軍勢に向かって、
「実は皇后が急におなくなりになったので、われわれはもう戦《いくさ》をする気はない」と申し入れながら、その目の前で全軍《ぜんぐん》の兵士《へいし》たちに弓《ゆみ》の弦《つる》をことごとく断《た》ち切《き》らせて、さもほんとうのように、伊佐比宿禰《いさひのすくね》に降参《こうさん》をしました。
すると伊佐比宿禰《いさひのすくね》はそれですっかり気をゆるして、自分のほうもひとまずみんなに弓の弦《つる》をはずさせ、いっさいの戦《いくさ》道具をも片《かた》づけさせてしまいました。
建振熊命《たけふるくまのみこと》はそれを見すまして、
「それッ」と合い図をしますと、部下の兵たちは、髪《かみ》の中に隠《かく》していた、かけがえの弦を取り出して瞬《またた》くまに弓を張って、
「うわッ」と、哄《とき》を上げて攻めかかりました。
敵はまんまと不意を討《う》たれて、総くずれになってにげ出しました。建振熊命《たけふるくまのみこと》は勝に乗じてどんどんと追いまくって行きました。
すると敵勢《てきぜい》は近江《おうみ》の逢坂《おうさか》というところまでにげのびて、そこでいったん踏《ふ》み止《とど》まって戦いましたが、また攻めくずされて、ちりぢりににげて行きました。
建振熊命《たけふるくまのみこと》は、とうとうそれを同じ近江《おうみ》の篠波《ささなみ》というところで追いつめて、敵の兵たいという兵たいを一人ものこさず斬《き》り殺してしまいました。
そのとき忍熊王《おしくまのみこ》と伊佐比宿禰《いさひのすくね》とは、危《あやう》く船に飛び乗って、湖水の中へにげ出しました。
しかしぐずぐずしていると今につかまってしまうのが目に見えていましたので、皇子《おうじ》は宿禰《すくね》に向かって、
さあ、おまえ、
振熊《ふるくま》に殺されるよりも、
鳰鳥《かいつぶり》のように、
この湖水にもぐってしまおうよ。
とお歌いになり、二人でざんぶと飛び込《こ》んで、それなり溺《おぼ》れ死にに死んでおしまいになりました。
四
皇后はそれでいよいよめでたく大和《やまと》へおかえりになりました。
しかし武内宿禰《たけのうちのすくね》だけは、お小さな天皇をおつれ申して、穢《けが》れ払《はら》いの禊《みそぎ》ということをしに、近江《おうみ》や若狹《わかさ》をまわって、越前《えちぜん》の鹿角《つぬが》というところに仮のお宮を作り、しばらくの間そこに滞在《たいざい》しておりました。
するとその土地に祀《まつ》られておいでになる伊奢沙和気大神《いささわけのおおかみ》という神さまが、あるばん宿禰《すくね》の夢に現われていらしって、
「わしの名を、お小さい天皇のお名と取りかえてくれぬか」とおっしゃいました。
宿禰《すくね》は、
「それはもったいないおおせでございます。どうもありがとう存じます」とお答え申しました。大神《おおかみ》は、「それでは、明日《あす》お供をして海ばたへ来るがよい。名を取りかえてくださったお礼を上げようから」とおっしゃいました。
それであくる朝早く、天皇をおつれ申して海岸へ出て見ますと、みんな鼻の先に傷《きず》をうけた、それはそれはたいそうな海豚《いるか》が、浜じゅうへいっぱいうち上げられておりました。
宿禰《すくね》はさっそくお社《やしろ》へお使いをたてて、
「食べ料のお魚《さかな》をどっさりありがとう存じます」とお礼を申しあげました。
天皇はそれから大和《やまと》へおかえりになりました。
お待ち受けになっていたお母上の皇后は、それはそれは大喜びをなすって、さっそくご用意のお酒を出させて、お祝いのおさかもりをなさいました。
皇后は、
このお酒は、私《わたし》がかもした酒ではない。
薬の神の少名彦名神《すくなひこなのかみ》があなたのご運をお祝いして、
喜びさわいでつくってくだされたお酒だから、
のこさず、すっかりめし上がってください。
さあさあどうぞ。
という意味をお歌いになりました。
宿禰《すくね》は天皇に代わって、
このお酒をつくった人は、
鼓《つづみ》を臼《うす》の上に立てて、
歌いながら、舞《ま》いながら、
喜び喜びつくったせいでございますか、
それはそれはたいそうよいお酒で、
いただきますとひとりでに歌いたく、
舞いたくなってまいります。
ああ楽しや。
とお答えの歌を歌いながら、ともどもお喜び申しました。
後の世の人は、この母上の皇后の、いろんな雄々《おお》しい大きなお手柄《てがら》をおほめ申しあげて、お名まえを特に神功皇后《じんぐうこうごう》とおよび申しております。
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