しゃいました。
「さあ、みんなもわしのとおり進んで来い。ひょうの雨は今にやむ。そのひょうのやむように、すべてを片づけてしまうのだ。さあ来い来い」という意味をお歌いになって、味方の兵をお招きになりました。
すると大前《おおまえ》、小前《こまえ》の宿禰《すくね》は、手をあげひざをたたいて、歌い踊《おど》りながら出て来ました。
「何をそんなにお騒《さわ》ぎになる。宮人《みやびと》のはかまのすそのひもについた小さな鈴《すず》、たとえばその鈴が落ちたほどの小さなことに、宮人も村の人も、そんなに騒ぐにはおよびますまい」
こういう意味の歌を歌いながら穴穂王《あなほのみこ》のご前《ぜん》に出て来て、
「もしあなたさま、軽皇子《かるのおうじ》さまならわざわざお攻めになりますには及びません。ご同腹《どうふく》のお兄上をお攻めになっては人が笑《わら》います。皇子さまは私がめしとってさし出します」と申しあげました。
それで穴穂王《あなほのみこ》は囲みを解《と》いて、ひきあげて待っておいでになりますと、二人の宿禰《すくね》は、ちゃんと軽皇子《かるのおうじ》をおひきたて申してまいりました。
六
軽皇子《かるのおうじ》には、軽大郎女《かるのおおいらつめ》とおっしゃるたいそう仲《なか》のよいご同腹《どうふく》のお妹さまがおありになりました。大郎女《おおいらつめ》は世《よ》にまれなお美しい方で、そのきれいなおからだの光がお召物《めしもの》までも通して光っていたほどでしたので、またの名を衣通郎女《そとおしのいらつめ》と呼《よ》ばれていらっしゃいました。
穴穂王《あなほのみこ》の手《て》にお渡《わた》されになった軽皇子《かるのおうじ》は、その仲のよい大郎女《おおいらつめ》のお嘆《なげ》きを思いやって、
「ああ郎女《いらつめ》よ。ひどく泣《な》くと人が聞いて笑《わら》いそしる。羽狹《はさ》の山のやまばとのように、こっそりと忍《しの》び泣きに泣くがよい」という意味の歌をお歌いになりました。
穴穂王《あなほのみこ》は、軽皇子《かるのおうじ》を、そのまま伊予《いよ》へ島流しにしておしまいになりました。そのとき大郎女《おおいらつめ》は、
「どうぞ浜べをお通りになっても、かきがらをお踏《ふ》みになって、けがをなさらないように、よく気をつけてお歩きくださいまし」という意味の歌を、泣き泣き
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