く隊、水たまりを干しさらへる隊、家々へ石油をくばる隊といふふうに、何百人といふ人数をはいぞくさせて、たえ間もなくはたらかせ、列車ごとに、かならず病院車をつけなぞして、患者はすぐ隔離するといふ組織にし、一方、全従業員に一さい酒類を飲ませないことにして、健康と勤勉の率を上げ、ぐん/\水路をほりひらかせました。
最初のフランス人ルッセは水路面を海面と同じ高さでとほす設計をしてゐたのですが、それはチャグレスなぞといふ河々の水があふれ出すのを勘定に入れなかつたからでした。ゴーガス大佐は、その河々の水を引いて幅五百フイート、長さ七マイル、海面から八十五フイートある水路を作り、下の方へ三区劃の水門をこしらへて、船がその中へはいると、水をふやして、つぎのたかい水面へおくりこむといふ仕組みにして、たかい水路をもらく/\と通過させることに成功しました。
全工事に動いてゐる機関車が五百台、浚泥機《しゆんでいき》百台、トラック、ポンプ、エレヴェイター、起重機各五千、それでもつて、どん/\谷をうづめ、山をほりくづしたもので、海へはこび出した泥《どろ》や土や岩石は総計二十億トンと計上されてゐます。大佐はかうして十年間の苦心のすゑに、開さくの大工事をりつぱになしとげました。これでヨーロッパの諸港から北アメリカの太平洋海岸へ来る船も、その海岸からニューヨークへいくのにも、わざ/\南アメリカの南端をまはらないですむやうになつたので、けつきよく約四千マイルだけ航路がはぶけることになつたのです。その一ばんの功労者のゴーガス大佐は、小さいときにお父さまになくなられ、貧しい母の手一つで、食ふや食はずのつらい目を見て成人した人でした。
底本:「日本児童文学大系 第一〇巻」ほるぷ出版
1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「鈴木三重吉童話全集 第六巻」文泉堂書店
1975(昭和50)年9月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
1928(昭和3)年10月
入力:tatsuki
校正:林 幸雄
2007年2月19日作成
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