デイモンとピシアス
鈴木三重吉

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)希臘《ギリシヤ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)毎朝|髪剃《かみそ》りをあてる
−−

       一

 これは、二千年も、もっとまえに、希臘《ギリシヤ》が地中海ですっかり幅《はば》を利《き》かせていた時代のお話です。
 そのころ、希臘人は、今のイタリヤのシシリイ島へ入り込んで、その東の海岸にシラキュースという町をつくっていました。そこでも市民たちは、やはりみんなの間からいくたりかの議政官というものを選んで、その人たちにすべての支配を任せていました。或《ある》とき、その議政官の一人にディオニシアスという大層な腕ききがいました。
 ディオニシアスは、もとはずっと下級の役に使われていた人ですが、その持前《もちまえ》の才能一つで、とうとう議政官の位地まで上ったのでした。この人のおかげでシラキュースは急にどんどんお金持になり、島中のほかの殖民地に比べて、一ばん勢力のある町になりました。
 それらの殖民地の中には、アフリカのカーセイジ人が建てた町もいくつかありました。シラキュースはそのカーセイジ人たちと、いつもひどい仲たがいをしていました。ディオニシアスは遂《つい》にシラキュース人を率いて、それらのアフリカ人と大戦をしました。そして手ひどく打ち負《まか》してしまいました。
 そんなわけで、ディオニシアスはシラキュース中で第一ばんの幅利きになりました。それでだんだんにほかの議政官たちを押しのけて、町中のことは自分一人で勝手に切り廻すようになりました。
 ディオニシアスはずいぶんわがままな惨酷《ざんこく》な男でした。市民たちは彼のいろいろな乱暴から、ディオニシアスを蛇《へび》のように憎み出しました。しかし、市民もほかの議政官も、彼の暴威に怖《おそ》れて、だれ一人面と向って反抗することが出来ませんでした。
 ディオニシアスには、市民たちが、すべて自分に対してどんな考えを持っているかということが十分分っていました。ですから、しじゅう、ちょっとも油断をしませんでした。いつだれが、どんな手だてをめぐらして、自分を殺すかも分らないのです。ディオニシアスはそのために、最後にはもうどんな人をでも疑わないではおかないようになりました。
 彼は牢屋《ろうや》の後にある、大きな岩の中を、人に分らないように、そっと下から掘り開《あ》けて、その中へ秘密の部屋をこしらえました。そしてそこへ、牢屋から罪人の話し声がつたわって来るような仕かけをさせて、いつもそこへ這入《はい》ってじいっと罪人たちの言ってることを立ち聞きしていました。
 それから、自分の寝室へは、だれも近づいて来られないように、ぐるりへ大きな溝《みぞ》を掘りめぐらし、それへ吊橋《つりばし》をかけて、それを自分の手で上げたり下《おろ》したりしてその部屋へ出這入《ではい》りしました。
 或《ある》とき彼は、自分の顔を剃《そ》る理髪人が、
「おれはあの暴君の喉《のど》へ毎朝|髪剃《かみそ》りをあてるのだぞ。」と言って、人に威張ったという話をきき、すっかり気味をわるくしてその理髪人を死刑にしてしまいました。そして、それからというものは、もう理髪人をかかえないで、自分の娘たちに顔を剃らせました。しかし後には、自分の子が髪剃《かみそり》を持ってあたるのさえも不安心でならなくなりました。それでとうとう鬚《ひげ》を剃るのをやめて、その代りに、栗の殻《から》を真赤に焼かせて、それで以て、娘たちに鬚を焼かせ焼かせしました。
 或日彼は、アンティフォンという男に向って、真鍮《しんちゅう》はどこから出るのが一番いいかとたずねました。すると、アンティフォンは、
「それはハーモディヤスとアリストゲイトンの鋳像のが一ばん上等です。」と答えました。ディオニシアスは愕《おどろ》いて、忽《たちま》ちその男を殺させてしまいました。ハーモディヤスとアリストゲイトンの二人は、希臘《ギリシヤ》のアゼンの町の勇士で、そこの暴君のピシストラツスという人の子供らを切り殺した人たちです。この二人の像がアゼンに立っていました。アンティフォンは大胆にもそれを引き合いに出して、ディオニシアスにあてつけを言ったのでした。
 また或とき、ディオニシアスは、友人のドモクレスという人が、たった一日でもいいから、ディオニシアスのような身分になって見たいと言って羨《うらや》んだということを聞き出しました。それですぐにそのドモクレスを呼んで、さまざまの珍らしいきれいな花や、香料や、音楽をそなえた、それはそれは、立派なお部屋にとおし、出来るかぎりのおいしいお料理や、価のたかい葡萄酒を出して、力いっぱい御馳走《ごちそう》をしました。
 ドモクレスは大喜びをしま
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 三重吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング