会堂へ行つて、祈祷書《きたうしよ》をよみ、合唱に加はつて讃美歌をうたひました。すつかり年をとつても、むかし謡《うた》をうたひなれてゐたので、声だけはきれいでした。
 監獄の役人たちは、温順なイワンをあはれがつてゐました。一しよにはいつてゐる囚人の全部はイワンを尊敬して、みんなで「おぢいさま」とよび「聖徒」とよんでゐました。みんなは役人にたいして何か願ひ出たいことがあると、きまつてイワンから言つてもらひ、おたがひの間にあらそひがおきると、すぐにイワンのところへ来て、とりさばいてもらひました。
 イワンの家《うち》からは二十六年の間、何のたよりも来ません。イワンにはじぶんの家内や子どもたちの生死さへもわかりませんでした。


    三

 ところが、或《ある》日、また一団の囚人がロシアからおくられて来ました。夕方になりますと、ふるい囚人たちは、それらの新来のものたちのぐるりにあつまつて、一々、おまいはどこの町、どこの村のものか、どうして処刑をうけたのかと聞きました。イワンもそれらの人々のそばにすわつて、くびをうなだれたまゝ、話を聞いてゐました。
 新来の一人に、六十になるといふ、白ひげをみじかくかつた、背のたかい、がんぢような年よりがゐました。そのぢいさんが、みんなに向つて、じぶんが収監されたいきさつを話し出しました。
「実にばかげきつた話だよ。」とぢいさんは言ひ出しました。
「おれは、そり[#「そり」に傍点]についてゐた馬を一ぴきはづして来たんだ。すると、たちまちつかまつて、窃盗罪に問はれたわけだ。おれは言つたよ。何もぬすんだわけぢやない、早くうちへかへらうと思つて借りたんだ。そのしようこには、家《うち》へ来ると、ちやんと馬をにがしてやつてるぢやないか。しかもその馬の御者つてのは、おれのともだちだよ。だから、何もかまやしないぢやないかと言つたんだ。だけど、やつらは、いけない、盗んだんだつて言やあがるんさ。ぢや、いつどこで、どんなふうにして盗んだかい、とつッこむと、それにはまるで返答が出来ないんだ。まつたくおれは、何のわるいこともしないのに、こんなところへ送りつけられたんだ。いや、じつをいへば、そのまへには一ど、ほんとうに悪いことをしたことがある。そいつをおさへられたら、りつぱにこゝへおくられても苦情は言へないんたが、めうなもので、そのときには、とう/\つかまらないで
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