仰である。此は實踐する所の習俗として殘つてゐて、而も、傳説化、藝術化することなくして、そのまゝ消えて行つたのである。その消滅の徑路において、彼岸の落日を拜む風と、落日を追うて海中に沒入することと、また少くとも彼岸でなくとも、法悦は遂げられるといふ入水死の風習とに岐れて行つたのである。
こゝで山越し像に到る間を、少し脇路に蹈み入ることにしたい。
さて、此日東の大きなる古國には、日を拜む信仰が、深く行はれてゐた。今は日輪を拜する人々も皆ある種の概念化した日を考へてゐるやうだが、昔の人は、もつと切實な心から、日の神を拜んで居た。
宮廷におかせられては、御代御代の尊い御方に、近侍した舍人たちが、その御宇々々の聖蹟を傳へ、その御代々々の御威力を現實に示す信仰を、諸方に傳播した。此が、日奉部《ヒマツリベ》(又、日祀部)なる聖職の團體で、その舍人出身なるが故に、詳しくは日奉大舍人部とも言うた樣である。此部曲の事については、既に前年、柳田先生が注意してゐられる。之と日置部、置部など書いたひおきべ[#「ひおきべ」に傍線](又、ひき[#「ひき」に傍線]・へき[#「へき」に傍線])と同じか、違ふ所があるか
前へ
次へ
全33ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
釈 迢空 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング