、やつとつかむことが出來るのではないかと思ふ。
大串純夫さんに、來迎藝術論(國華)と言ふ極めて甘美な暗示に富んだ論文があつて、この稿の中途に、當麻寺の松村實照師に示されて、はじめて知つたのだが、反省の機會が與へられて、感謝してゐる。此には、山越し像と、來迎圖との關聯、來迎圖と御迎講又は來迎講と稱すべきものとの脈絡を説いて、中世の貴族庶民に渉る宗教的情熱の豐けさが書かれてゐる。唯一點、私が之に加へるなら、大串さんのひきおろした畫因――宗教演劇にも近い迎へ講の儀式の、藝術化と言ふ所から、更にずつと、卸して考へることである。
山越し像において、新しいほど、御迎講の姿が、畫因に認められるのに、古いほど却て來迎圖の要素たる聖衆が少くなつて、唯の三尊佛と言ふより、其すら脇士なるが故に伴うてゐるだけで、眼目は中尊にあると言ふ傾向がはつきり見えるのは、其が唯阿彌陀三尊に止るなら、問題はない。阿彌陀像には、自ら約束として、兩脇士の隨ふものなのだから。ところが、之に附隨して山の端の外輪が胸のあたりまで掩うてゐることになると、さう簡單には片づかぬ。常に來迎が山上から、たなびく紫雲に乘つて行はれ易いと考へたに
前へ 次へ
全33ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
釈 迢空 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング