ないが、曾祖母《ヒオホバ》にも當る橘夫人の法華經、又其|御胎《オハラ》にいらせられる―筋から申せば、大叔母|御《ゴ》にもお當り遊ばす、今の 皇太后樣の樂毅論。此二つの卷物が、美しい裝ひで、棚を架《カ》いた上に載せてあつた。
横佩大納言と謂はれた頃から、父は此二部を、自分の魂のやうに大事にして居た。ちよつと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の資人《トネリ》の荷として、持たせて行つたものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言はずにゐたのである。さすがに我強《ガヅヨ》い刀自たちも、此見覺えのある、美しい箱が出て來た時には、暫らく撲たれたやうに、顏を見合せて居た。さうして後《ノチ》、後《アト》で恥しからうことも忘れて、皆聲をあげて泣いたものであつた。
郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し豫期したやうな興奮は、認められなかつた。唯一|途《ヅ》に素直に、心の底の美しさが匂ひ出たやうに、靜かな、美しい眼で、人々の感激する樣子を、驚いたやうに見まはして居た。
其からは、此二つの女手《ヲンナデ》の「本《ホン》」を、一心に習ひとほした。偶然は友を誘《ヒ》くものであ
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