恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔《ツヽマ》しく併しのどかに、御《ミ》堂・々々を拜《ヲガ》んで、岡の東塔に來たのである。
こゝからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考へ浮べることも、しなかつたであらう。まして、家人たちが、神隱しに遭うた姫を、探しあぐんで居ようなどゝは、思ひもよらなかつたのである。唯うつとりと、塔の下《モト》から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現《ウツ》し世《ヨ》の目からは見えぬ姿を惟《オモ》ひ觀《ミ》ようとして居るのであらう。
此時分になつて、寺では、人の動きが繁くなり出した。晨朝《ジンテウ》の勤めの間も、うと/\して居た僧たちは、爽やかな朝の眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]いて、食堂《ジキダウ》へ降りて行つた。奴婢《ヌヒ》は、其々もち場持ち場の掃除を勵む爲に、ようべの雨に洗つたやうになつた、境内の沙地に出て來た。
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そこにござるのは、どなたぞな。
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岡の陰から、恐る/\頭をさし出して問うた一人の寺奴《ヤツコ》は、あるべからざる事を見た樣に、自分自身を咎めるやうな聲をかけた。女人の
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