かつた。其寂寞たる光りの海から、高く抽《ヌキ》でゝ見える二上の山。淡海《タンカイ》公の孫、大織冠《タイシヨククワン》には曾孫。藤氏族長《トウシゾクチヨウ》太宰帥、南家《ナンケ》の豐成、其|第一孃子《ダイイチヂヨウシ》なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、女部屋を膝行《ヰザ》り出ることすら、たまさかにもせぬ、郎女《イラツメ》のことである。順道《ジユンタウ》ならば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚岡《ヒラヲカ》の御神《オンカミ》か、春日の御社《ミヤシロ》に、巫女《ミコ》の君《キミ》として仕へてゐるはずである。家に居ては、男を寄せず、耳に男の聲も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き臥しゝてゐる人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬやうに、おふしたてられて來た。
寺の淨域が、奈良の内外《ウチト》にも、幾つとあつて、横佩|墻内《カキツ》と讃《タヽ》へられてゐる屋敷よりも、もつと廣大なものだ、と聞いて居た。さうでなくても、經文の上に傳へた淨土の莊嚴《シヤウゴン》をうつすその建て物の樣は、想像せぬではなかつた。だが目《マ》のあたり見る尊さは、唯息を呑むばかりであつた。之に似た驚きの
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