のおそば近く侍る尊いおん方。さゝなみの大津の宮に人となり、唐土《モロコシ》の學藝《ザエ》に詣《イタ》り深く、詩《カラウタ》も、此國ではじめて作られたは、大友[#(ノ)]皇子か、其とも此お方か、と申し傳へられる御方《オンカタ》。
近江の都は離れ、飛鳥の都の再榮えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言ふ噂が、立ちました。
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高天原廣野姫尊《タカマノハラヒロヌヒメノミコト》、おん怒りをお發しになりまして、とう/\池上の堤に引き出してお討たせになりました。
其お方がお死にの際《キハ》に、深く/\思ひこまれた一人のお人がおざりまする。耳面刀自《ミヽモノトジ》と申す、大織冠のお娘御でおざります。前から深くお思ひになつて居た、と云ふでもありません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを續けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々、磐余《イハレ》の池の草の上で、お命召されると言ふことを聞いて、一目見てなごり惜しみがしたくてこらへられなくなりました。藤原から池上まで、おひろひでお出でになり
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