取の東路《アヅマヂ》のはてにある舊社《モトヤシロ》の祭りまで此方で勤めねばならぬ。實際よそほかの氏[#(ノ)]上よりも、此方《コチラ》の氏助ははたらいてゐるのだが、――だから、自分で、氏[#(ノ)]上の氣持ちになつたりする。――もう一層なつてしまふかな。お身はどう思ふ。こりや、答へる訣にも行くまい。氏[#(ノ)]上に押し直らうとしたところで、今の身の考へ一つを抂げさせるものはない。上樣方に於かせられて、お叱りの御沙汰《ゴサタ》を下しおかれぬ限りは――。
[#ここで字下げ終わり]
京中で、此惠美屋敷ほど、庭を嗜んだ家はないと言ふ。門は、左京二條三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住ひは、南を廣く空《ア》けて、深々とした山齋《ヤマ》が作つてある。其に入りこみの多い池を周らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の中《ナカ》み門《カド》、西の中《ナカ》み門《カド》まで備つて居る。どうかすると、庭と申さうより、寛々《クワンヽヽヽ》とした空き地の廣くおありになる宮よりは、もつと手入れが屆いて居さうな氣がする。
庭を立派にして住んだ、うま[#「うま」に傍点]人たちの末々の樣が、兵部大輔
前へ
次へ
全160ページ中120ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
釈 迢空 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング