いて氏[#(ノ)]上職を持ち堪《コタ》へたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせ[#「よせ」に傍点]が重かつたからである。其には、一番大事な條件として、美しい齋き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかつた爲でもある。大伴の家のは、表向き壻どりさへして居ねば、子があつても、齋き姫は勤まる、と言ふ定めであつた。今の阪[#(ノ)]上[#(ノ)]郎女は、二人の女子《ヲミナゴ》を持つて、やはり齋き姫である。此は、うつかり出來ない。此方《コチラ》も藤原同樣、叔母御が齋姫《イツキ》で、まだそんな年でない、と思うてゐるが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲ふことにならぬとも限らぬ。大伴・佐伯《サヘキ》の數知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるやうになつてはならぬ。かう考へて來た家持の心の動搖などには、思ひよりもせぬ風で、
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こんな話は、よそほかの氏[#(ノ)]上に言ふべきことでないが、兄公殿《アニキドノ》があゝして、此先何年、難波にゐても、太宰府に居ると言ふが表面《オモテ》だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二處に二度づゝ、其外、週《マハ》り年には、時々鹿島香
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