フ発作が起こったものか――その辺の事情はついに知るよしもなかったが、とにかく、人々は彼が穴蔵の底で、体じゅうをぴくぴくと痙攣《けいれん》させながら、口の端に泡を吹いて身をもがいているところを発見したのである。初めみんなきっと手か足をくじいて、体じゅう打ち身だらけになっているだろうと思ったのに、マルファ・イグナーチエヴナの言ったように、『神の御加護で』別にそんなこともなくて済んだが、ただ彼を穴蔵からこの娑婆《しゃば》へかつぎ出すのが困難であったから、近所の人に手伝ってもらって、やっと運び出すことができた。この騒ぎのあいだフョードル・パーヴロヴィッチも現場に居合わせて、ひどくびっくりしてしまって、途方に暮れた面持ちで、自分でも手助けをしたほどであった。しかし病人は意識を回復しなかった。発作はときどきやむこともあったけれど、すぐにまたぶり返してきた。で、また去年やはり誤って屋根裏からおっこちたときと同じようなことがくり返されるのだろうと人々は推測した。それで、去年氷で頭を冷やしたことをふと思い出した。まだ穴蔵に氷が残っていたので、マルファ・イグナーチエヴナがその世話を引き受けることになったが、夕方になってフョードル・パーヴロヴィッチは医者のヘルツェンシュトゥベを迎いにやった。医者はすぐに駆けつけてくれた。彼は慎重に病人を診察して(この人は県内でも最も慎重で丁寧なかなりな年配の上品な医者であった)、これはなかなか激烈な発作だから、『恐ろしい結果にならないとも限らぬ』しかし今のところ、まだはっきりしたことはわからないが、もし今日の薬がきかなかったら、明日また別な処方をしてみようと言った。病人は傍屋《はなれ》の一室へ寝かされたが、それはグリゴリイ夫婦の部屋の並びの部屋であった。フョードル・パーヴロヴィッチはその後ひき続いて、一日じゅういろんな災難を忍び通さなければならなかった。第一、食事はマルファ・イグナーチエヴナの手で調えられたが、スープなどはスメルジャコフの料理に比べると、『まるでおとし水のよう』だし、鶏肉はからからに焼き過ぎて、とてもかみこなせる代物ではなかった。マルファ・イグナーチエヴナは主人の手きびしい、けれど道理にかなった小言に対して、鶏はそれでなくてももともと非常に年をとっていたのだし、またわたしにしても料理の稽古《けいこ》ひとつさせていただいたわけでないからと抗議を申しこんだ。それから夕方になると、また一つの心配がもちあがった。それは、もう一昨日あたりからぶらぶらしていたグリゴリイが、おりもおり、とうとう腰が立たなくなって、寝こんでしまったというのであった。
フョードル・パーヴロヴィッチはできるだけ早くお茶を切りあげると、ただひとり母屋へ閉じこもった。彼はひどく不安な期待に胸をふさがれていた。そのわけは、ちょうどこの夜グルーシェンカの来訪を、ほとんど確実に待ち設けていたからである。今朝ほどスメルジャコフから、『あの女が今日こそ間違いなく行くと言って約束をなさいました』という、ほとんど伝言に近い情報を受け取っていたからである。こらえ性のない老人の胸は早鐘のように打ち続けた。彼はがらんとした部屋を歩き回って、ときどき聞き耳を立てるのであった。どこかでドミトリイが彼女を見張っているかもしれないから、耳を鋭く澄ましていなければならなかった。そして彼女が戸をたたいたら(スメルジャコフは女にどこをどうたたくかという例の合い図を教えておいたと、もう一昨日、フョードル・パーヴロヴィッチに報告した)、できるだけ早く扉をあけてやって、一秒もむだに玄関で待たせないようにすることが肝心だ、でないと、彼女が何かに驚いて逃げ出すようなことになったら、それこそたいへんである。フョードル・パーヴロヴィッチはずいぶん気がもめたけれど、彼の心がこれほど甘美な希望に浸ったことは、これまでついぞないことであった。今度こそ彼女は間違いなくやって来ると断言することができるのではないか!
底本:「カラマゾフの兄弟 上巻」角川文庫
1968(昭和43)年8月30日改版初版発行
1975(昭和50)年10月30日改版11版発行
入力:高柳典子
校正:土屋隆
2009年11月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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