ヘ何も行なわないで、再び彼らにそれを、分配してやる、彼らはパンを受け取る時に、このことをはっきり承知しているけれど、彼らが喜ぶのはパンそのものよりも、むしろ、それをわれわれの手から受け取るということなのだ! なぜならば、以前われわれのいなかったころには、彼らの得たパンがその手の中で石ころになってしまったが、われわれのところへ帰って来てからは、その石がまた彼らの手の中で元のパンになったことを、悟りすぎるくらい悟っているからである。永久に服従するということがどんな意味を持っているかも、彼らは理解し過ぎるほど理解するに違いない! この理に合点のゆかぬあいだは、彼らはいつまでも不幸なのだ。だが、これを彼らに知らさないようにしたのは第一誰なのか、それが聞きたい。羊の群れを散り散りにして、不案内な道へ追いやったのは誰だ? でも、羊の群れもまた再び呼び集められて、今度こそ永久に服従することだろう。その時になって、われわれは彼らに穏やかなつつましい幸福を授けてやる。彼らの本来の性質たるいくじのない動物としての幸福を授けてやるのだ。おお、われわれは最後に彼らを説き伏せて、けっして誇りをいだかないようにしてやる。つまり、おまえが彼らの位置を高めるために、彼らに誇りを教えこんだからだ。そこでわれわれは彼らに向かって、おまえたちはいくじなしで、ほんの哀れな子供のようなものだ、そして子供の幸福ほど甘いものはないと言い聞かせてやる。すると、彼らは臆病になって、まるで巣についた牝鶏《めんどり》に雛《ひな》が寄り添うように、恐ろしさに震えながら、われわれのほうへ身をすり寄せて、われわれを振り仰ぐに違いない。彼らはわれわれのほうへ詰め寄りながらも、同時にわれわれを崇《あが》め恐れて、荒れさわぐ数億の羊の群れを鎮撫《ちんぶ》することのできる偉大な力と知恵とを持ったわれわれを、誇りとするに至るだろう。彼らはわれわれの怒りを見て、哀れにも震えおののいて、その心は臆《おく》し、その眼は女や子供のように涙もろくなるだろう。しかし、われわれがちょっと合い図さえすれば、たちまち身も軽々と、歓楽や、笑いや、幸福の子供らしい歌へ移るのだ。むろん、われわれは彼らに労働を強いるけれど、暇なときには彼らのために子供らしい歌と合唱と、罪のない踊りの生活を授けてやる。ちょうど子供のために遊戯を催してやるようなものだ。もちろん、われわれは彼らに罪悪をも許してやる。彼らは弱々しい力ない者だから、罪を犯すことを許してやると、子供のようにわれわれを愛するようになる。どんな罪でもわれわれの許しさえ得て行なえばあがなえる、とこう彼らに言い聞かせてやる。罪悪を許してやるのは、われわれが彼らを愛するからだ。その罪悪に対する応報は、当然われわれ自身で引き受けてやるのだ。そうしてやると、彼らは神様に対して自分たちの罪を引き受けてくれた恩人として、われわれをますます崇めるようになる。したがってわれわれに何一つ隠しだてをしないようになる。彼らが妻の他に情婦と同棲《どうせい》することも、子供を持つことも、持たぬことも、すべては彼らの従順であるか従順でないか、したがって、許しもすれば、とがめもする。こうして彼らは楽しく喜ばしくわれわれに服従してくるのである。最も悩ましい良心の秘密も、それから――いや、何もかも、本当に何もかも、彼らはわれわれのところへ持って来る。するとわれわれはいっさいのことを解決してやる。この解決を彼らは喜んで信用するに違いない。というのは、それによって大きな心配を免れることもできるし、今のように自分で勝手に解決するという恐ろしい苦痛を免れることができるからだ。かくてすべての者は、幾百万というすべての人類は幸福になるだろう。しかし、彼らを統率する十数万の者は除外されるのだ。すなわち、秘密を保持しているわれわれのみは、不幸に陥らねばならぬのだ。何億かの幸福な幼児と、何万人かの善悪の知識ののろいを背負うた受難者ができるわけだ。彼らはおまえの名のために静かに死んでゆく、静かに消えてゆく。そうして、棺《かん》のかなたにはただ死以外の何ものをも見いださないだろう。しかも、われわれは秘密を守って、彼ら自身の幸福のために、永遠の天国の報いを餌《えさ》に彼らを釣っていくのだ。なぜといって、もしあの世に何かがあるにしても、とうてい彼らのごとき人間に与えられるはずはないからだ。人の話や予言によると、おまえは再びこの世へやって来るそうだ。再びすべてを征服して、選ばれたる人や、誇りと力を持った者を連れてやって来るそうだ、けれどわれわれはこう言ってやる――彼らはただ自分を救ったばかりだが、われわれはすべての者を救ってやった、とな。またこんな話もある。やがてそのうちにいくじのない連中がまたもや蜂起《ほうき》して、獣の上にまたがって、※[#始め二重括弧、1−2−54]秘密※[#終わり二重括弧、1−2−55]を手にした姦婦《かんぷ》の面皮を引っ剥《ぱ》がし、その紫色のマントを引き裂いて、※[#始め二重括弧、1−2−54]醜い体※[#終わり二重括弧、1−2−55]を裸にするということだ。もっとも、その時はわしが立ち上がって、罪を知らぬ何億という幸福な幼児を、おまえに指さして見せてやる。彼らの幸福のために彼らの罪を一身に引き受けたわれわれは、おまえの行く手に立ちふさがって、※[#始め二重括弧、1−2−54]さあできるものならわれわれをさばいてみろ※[#終わり二重括弧、1−2−55]と言ってやる。いいかえ、わしはおまえなんぞを恐れはしないぞ。いいかえ、わしもやはり荒野へ行って、いなごと草の根で命をつないだことがあるのだぞ。おまえは自由をもって人間を祝福したが、わたしもその自由を祝福したことがあるのだ。わしも※[#始め二重括弧、1−2−54]数の埋め合わせ※[#終わり二重括弧、1−2−55]をしたいという渇望のために、おまえの選ばれたる人々の仲間へ――偉大なる強者の仲間へはいろうと思ったこともある。しかしあとで眼がさめたから、気ちがいに仕えることが嫌になったのだ。それでまた引き返して、※[#始め二重括弧、1−2−54]おまえの[#「おまえの」に傍点]仕事を訂正した※[#終わり二重括弧、1−2−55]人々の群れに投じたのだ。つまり、わしは傲慢《ごうまん》な人々のかたわらを去って、謙遜《けんそん》な人々の幸福のために、謙遜な人々のところへ帰って来たのだ。今にわしの言ったことは実現されて、われわれの王国は建設されるだろう。くり返して言うが、明日はおまえもその従順な羊の群れを見るだろう。彼らは、わしがちょっと手で合い図をすれば、われがちにおまえを焼く炬火へ炭を掻《か》きこむことだろうよ。それはつまり、おまえがわれわれの邪魔をしに来たからだ。実際、もし誰か、最もわれわれの炬火に焼かれるにふさわしい者があるとすれば、それはまさしくおまえだ。明日はおまえを焼き殺してくれるぞ。Dixi(これでおしまいだ)』」
イワンは口をつぐんだ。彼は話しているうちにすっかり熱して、酔ったようになって話を続けたが、語り終わった時、不意ににやりとした。
黙々としてずっと聞き入っていたアリョーシャは、しまいには異常な興奮を覚えて幾度も躍起に兄のことばをさえぎろうとする衝動をかろうじて押えていたのであるが、突然、その場から飛び上がりざま口をきった。
「しかし……それはばかばかしい話ですよ!」と彼はまっかになって叫んだ、「兄さんの劇詩はイエスの賛美です、けっして非難じゃありません……、兄さんが期待した結果にはなっていません、それに誰が兄さんの自由観なんか信じるものですか! そんな、そんな風に自由というものを解釈していいものでしょうか! それがはたして正教の解釈でしょうか……それはローマです、いやローマも全体を尽くしたものではありません、それは嘘《うそ》です、それはカトリック教の中でもいちばん良くないものです、審問官や、エズイタ思想です!……それに兄さんのおっしゃる審問官のような奇怪な人物はとうていあり得るものではありません。自分の一身に引き受けた人類の罪とは、いったい何のことですか? 人類の幸福のために何かのろいを背負った、秘密の保有者とはいったいどんなものです? いつそんな人がありましたか? 僕らはエズイタ派のことは知っていますが、彼らはずいぶんひどいことを言われてますけれど、兄さんの考えてるようなものではありません! まるで違いますよ、全然そんなものじゃありません……、彼らはただ頭に皇帝を――ローマ法王をいただいた、未来の世界的王国の建設に向かって邁進《まいしん》するローマの軍隊にすぎません。それが彼らの理想で、そこにはなんの神秘もなければ、高遠な憂愁もありません……、権力と、卑しい地上の幸福と、隷属に対する最も単純な希望があるにすぎないのです……、いわば、未来の農奴制度というべきものですが、それには彼ら自身が地主になろうとしているのです……これっくらいが彼らのもっているすべての考えですよ、おそらく彼らは神だって信じてはいないでしょう。兄さんの言う苦しめる審問官はただの幻想ですね……」
「まあ、待てよ、待てっ」とイワンは笑って、「いやに逆《のぼ》せ上がるじゃないか、おまえが幻想と言うんなら、それでもいいよ! むろん、幻想さ、だがな、おまえは本当に、近世のカトリック教の運動の全部が、けがれた幸福のみを目的とする権力の希望にすぎないと思ってるのかい? そいつはパイーシイ神父にでも教わったことじゃないかな?」
「いいえ、いいえ、反対に、パイーシイ神父はいつだったか、兄さんと同じようなことを言われたことさえありますよ……しかし、むろん違います、まるで違いますよ」と、アリョーシャはあわてて言いなおした。
「いや、そいつは、おまえが『まるで違う』と言ったところで、なかなか貴重な報告だぜ。そこで一つおまえに聞きたいのはね、どういうわけでおまえのいうエズイタや審問官たちは、ただ物質的な卑しい幸福のためのみに団結したというんだい? なぜ彼らのなかには、偉大なる憂愁に悩みながら、人類を愛する受難者が一人もいないというのだい? ね、けがれた物質的幸福をのみ渇仰《かつごう》している、こういう連中のなかにも、せめて一人ぐらい、僕の老審問官のような人があったと想像してもいいじゃないか、彼は荒野で草の根を食いながら、みずから自由な完全なものになるために、自分の肉体を征服しようとして狂奔したのだが、人類を愛する念には生涯変わりがなかったのさ。ところが、一朝、忽然として意志の完成に到達するという精神的な幸福はそれほど偉大なものではない、ということを大悟したのだ。それは、意志の完成に到達した時には、自分以外の数億の神の子が、ただ嘲笑の対象物となってしまう、ということを認めざるを得ないからだ。全く彼らは自分の自由をどう処置していいかもわからないのだ、こういう哀れな暴徒の中から、バビロンの塔を完成する巨人が出て来ようはずはない、『偉大なる理想家』が、かの調和を夢みたのは、こんな鵞鳥《がちょう》のような連中のためではない、こういうことを悟ったので、彼は引っ返して……賢明なる人々の仲に加わったわけだが、そんなことはあり得ないというのかえ?」
「誰の仲間へ加わるのです、賢明なる人とは誰のことですか?」アリョーシャはほとんど激情にかられながら、こう叫んだ、「彼らにはけっしてそんな知恵もなければ、そんな神秘だの秘密だのというものもありません……あるのはただ、無神論だけです、それが彼らの秘密の全部です、兄さんの老審問官は神を言じていやしません、それが老人の秘密の全部です!」
「そうだとしても、かまわんよ! やっとおまえも気がついたってわけだね、いや、本当にそのとおりなんだ、本当に彼の秘密はただその中にのみ含まれているのだよ、しかし、それは彼のような人間にとっても苦しみではないだろうか。彼は荒野における苦行のために自分の一生を棒に振ってしまいながら、それでも人類に対する愛という病を、癒《い》やすことがで
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