り明るい色をした格子縞《こうしじま》で、きわめて薄っぺらな地であった。下の方がすっかり皺くちゃになっているので、裾がつり上がって、まるで子供のように足がつき出ていた。
「僕は……アレクセイ・カラマゾフです……」とアリョーシャは答えた。
「それはよく承知しておりまする」そんなことを聞かなくとも、客の何ものかはよく知っていたと悟らせるかのように、男はすぐにさえぎった、「ところで、私はスネギーレフ二等大尉でございますが、それにしても、どういう子細があってお越しになったかお伺いいたしたいものです……」
「なあに、僕はちょっとお寄りしてみただけなんです、実のところ、たったひとことあなたに申し上げたいことがあるんですが……。おさしつかえございませんでしたら……」
「そういうわけなら、ここに椅子がございますから、さあ、どうぞ、その場に。これは昔の喜劇の中でよくいうやつでございますよ、『どうぞその場に』なんかと……」言いながら、二等大尉はすばやく空の椅子をつかんで(それは全く木ばかりで造った、よくよく不細工な椅子で、何も張ってなかった)、それをほとんど部屋のまん中の辺に据えて、やがて、自分がかけるために、もう一つ同じような椅子をとって、アリョーシャの真向かいに坐ったが、前と同じように膝と膝とがすれ合うほど接近していた。
「ニコライ・スネギーレフと申し、昔は露国歩兵二等大尉でござりましたが、身持ちのよくないために、恥をかきましてね、それでもやはり二等大尉なんでして。しかし、スネギーレフというより、むしろ二等大尉スロヴォエルソフといったほうがわかるくらいでございますよ。なぜと申すに、わたくしは後半生に至ってスロヴォエルスばかりで話をするようになったもんですからね。このスロヴォエルスはたいてい落ちぶれてから口癖になるものでして……」
「いかにも御もっともです」とアリョーシャはほほえみを浮かべた、「しかし、何気なくお使いになるおことばですか、それとも、ことさらに?……」
「誓って申しますが、何気なくなんですよ。いつも言ったことなんかなかったのでして、長いことスロヴォエルスで話したことなんかなかったのですが、急に落ちぶれて、いつの間にかスロヴォエルスを言い始めていたのです。これは神様のお力でなることでございますよ。お見受けしたところ、あなたは現在の問題に興味を持っていらっしゃるようでございますね。それはそうと、どうしてわたしなんぞに好奇心をお起こしなすったのでしょうね? 御覧のとおり、お客様をおもてなしをすることもできないような境遇におりますので」
「僕は……あの例の事件のことでまいったのです……」
「あの例の事件?」と二等大尉はじれったそうにさえぎった。
「僕の兄貴のドミトリイとあなたがお会いなすった件についてです」とアリョーシャは不細工に口を出した。
「会ったとはなんでございますか? あの例の一件じゃございませんか? つまりなんですか、糸瓜《へちま》の一件、垢《あか》すり糸瓜の一件じゃございませんかね?」彼は急に乗り出して来たので、今度は本当にアリョーシャと膝を突き合わせてしまった。彼の唇は何か妙にひき締まって、糸のように細くなった。
「いったい、糸瓜とは何のことですか?」アリョーシャはつぶやいた。
「それはね、父ちゃん、僕のことを父ちゃんに言いつけに来たんだよ!」片隅のカーテンのかげから、聞き覚えのあるさきほどの子供の声が叫んだ、「僕さっき、その人の指をかんでやったんだ!」
 カーテンがさっと引かれたかと思うと、聖像の飾ってある片隅に、床几《しょうぎ》と椅子とをつないでこしらえた寝台があって、その上に横たわっているさきほどの敵の姿が、アリョーシャの眼にはいった。子供は、さっきと同じ古外套に、もっと古ぼけた綿入れの蒲団《ふとん》をかけて横になっていた。体のぐあいがよくないらしく、燃えるような眸《ひとみ》から判断すると、熱が高いらしかった。今はさっきとは違って、恐れるさまもなく、『もう家にいるんだからだめだぞ』とでも言いたそうに、アリョーシャを見つめていた。
「え、なんだ、指をかんだと?」二等大尉は椅子から飛び上がらんばかりにして、「それはあなたの指をかんだのでございますか?」
「ええ、そうです。さっきあなたの坊ちゃんが往来で、大ぜいの子供を相子に石の投げっこをしてたんですが、なにしろ向こうは六人、こっちは一人ですから、僕が見かねて、そばへ寄って行きますとね、坊ちゃんが僕にまで石を放るじゃありませんか。二度目のが僕の頭に当たりました。で、僕が何の恨みがあるのかと聞きましたら、いきなり飛びかかって来て、ひどく僕の指をかんだんですけれど、僕にはさっぱりわけがわかりません」
「今すぐ、ぶんなぐってやります! 今すぐ、ぶんなぐってやりますよ!」二等大尉はもうすっかり椅子から飛び上がった。
「僕はけっして言いつけに来たのじゃありません。ただありのままを話しただけです、……坊ちゃんをなぐっていただきたくはありません! それに今かげんが悪いようですし……」
「じゃあなたは本当に、わたしがあれをなぐるとでもお思いでしたか? いったい、わたくしがイリューシャをとっつかまえて、今すぐあなたの前で、御満足のゆくほど、なぐりつけると思ってらしったんでございますか? すぐそうして欲しいとおっしゃるんですか?」二等大尉は、まるで今にも飛びかかりそうな様子をして、急にアリョーシャの方へ振り向きながら、言うのであった、「いや、あなた様の指のことは全くお気の毒です。はい。しかし、イリューシャをなぐる代わりに、今すぐお眼の前で、そこにあるナイフでもって、十分あなたの気の済みますように、わたくしの指を四本、ずばりと切り落としてはいかがでございましょうね。指を四本なら、あなたの復讐の御希望が十分達せられるだろうと存じますが、よもや五本の指までは要求なさらんでしょうね?……」
 彼は急にことばを切って、苦しそうな息づかいをしていた。その顔の線はことごとく、引っつりながら躍って、眼には恐ろしい、挑戦的な色が浮かんでいた。彼は夢中にでもなっているらしかった。
「僕はやっと何もかもわかったような気がします」アリョーシャはずっと坐ったまま、声低く、悲しそうに答えた。「つまり、坊ちゃんは――気だてのいいおかたで、お父さん思いなんですね、だから、父親を侮辱した者の兄弟として、僕に飛びかかったわけなんですね……僕はやっと、何もかもわかりました」と彼は考えこみながらくり返した、「しかし、僕の兄のドミトリイは自分のしたことを後悔しています。それは僕がよく承知しています。だから、兄がお宅へ来ることが、いや、それよりも、あの時と同じところであなたにまた、お目にかかることができたら、みんなの眼の前で兄はおわびするはずです……もしお望みとあらば」
「すると、なんですか、人の鬚《ひげ》を引っこ抜いたあげく、おわびをして、それでもう何もかもおしまいにして、罪滅ぼしをした……とでもいうんでございますね、ね、そうでしょう?」
「いいえ、どういたしまして、兄はなんでもお気に入るようにしましょうし、お望みどおりのことをいたします!」
「そんなら、もし、わたくしがあのかたに、前と同じ居酒屋――屋号は『都』と申しますが、そこでか、または町の広小路で、わたしの前へ膝《ひざ》をついてくださいとお願いしたら、そのとおりにしてくださるでしょうかね?」
「しますとも、むろん、兄は膝をつきますとも」
「ああ、胸にしみました! あなたはわたくしの涙をお絞りになりました、ああ、胸にしみるです! すっかりもう、お兄さんの寛大な心をお察しする気になりました。どうぞ十分に紹介の労をとらしてくださいまし、あれにおりますのが、わたしの家族で、娘が二人に息子が一人――みんな一つ腹のなんでございますよ。もしわたくしが死んだ日には、誰があれらを可愛《かわい》がってくれましょう? また、わたくしの生きているあいだ、あれらを除けて、誰が、こんないやらしい親爺に目をかけてくれましょう! これこそ、わたくしのような人間に、神様が定めてくだすった大きな事業でございますよ。実際、わたくしのような人間は、誰かに愛してもらわなくちゃなりませんからね……」
「ええ、それはおっしゃるとおりです!」アリョーシャは叫んだ。
「まあ、たくさんだわ、ばかなまねはいいかげんにしなさいよ。どこかのばか者がやって来れば、すぐもう、あんたは恥っさらしなことばかりなさるんですもの!」不意に、窓のそばに立っていた娘が父に向かって、気むずかしそうな人をばかにしたような顔をして、思いがけなくこう叫んだ。
「まあ、ちょっとお待ち、ワルワーラさん、言いかけたことをついでにしまいまで言わしておくれ」と父親は叫んだ。号令でもかけるような口ぶりであったが、しかもその眼つきは、大いにわが意を得たりというような風であって、「この子はどうもああいう性分でございましてね」と彼はまたアリョーシャのほうを向いた、

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「ありとある自然のうちに
何ものをも頌《たた》うるを欲せざりき。
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 いや、これは女性にして、彼女にしなくちゃなりませんね。ところで、今度は失礼ですが、家内を紹介しましょう。これがアリーナ・ペトローヴナと申し、年は四十で、足のない婦人でございます。いやなに、歩くことは歩きますが、ほんの少しばかりなんでして。素性の賤《いや》しい者でございますよ。おい、アリーナさん、そんなにへんな顔をするのはよせよ。このおかたはアレクセイ・フョードロヴィッチ・カラマゾフさんだよ。お立ちなさい。カラマゾフさんだよ」と彼は客の手を取って、この男には思いがけないくらいの力で、いきなりアリョーシャを引き起こした、「あなたは婦人に引き合わされていらっしゃるのですから、お立ちにならなければなりません。この人はね、母ちゃんや、あのカラマゾフとは違うんだよ。わしをその……ふむ! その弟さんで、品行の正しい、おとなしい立派なおかたなんだ。失礼でございますが、アリーナさん、失礼でございますが、ねえ、母ちゃんや、まずもって、あなたの御手を接吻させてくださいましな」
 と言って、彼は妻の手に、うやうやしく、優しく接吻までするのであった。窓ぎわの娘はこの光景をみると癪《しゃく》にさわって、背を向けた。高慢らしく、物問いたげにしていた妻の顔は、急になみなみならぬ愛想のよさを示した。
「よくいらっしゃいました、チェルノマゾフ(黒んぼ)さん、さあおかけなさいまし」と彼女は言った。
「カラマゾフさんだよ、お母ちゃん。カラマゾフさんだよ……なにしろ、わたくしたちは素性の卑しい者でございますからね」と彼は再びささやいた。
「まあカラマゾフでも何でもいいけれど、わたしはいつもチェルノマゾフです……さあ、おかけなさいな。いったい、家の人はどうしてあなたを立たしたのでしょうね? 家の人は足のない婦人だなんて言いますけれど、足はちゃんとありますよ。ただまるで桶《おけ》のように腫《は》れあがって、体が痩せてしまったのですよ。以前はどうしてどうして、とても太ってましたけど、今はもうまるで針でも飲んだように痩せてしまいましてね」
「わたくしどもは何分にも素姓の卑しいものでして、素姓の卑しい……」二等大尉はまたもやそばから口を出した。
「父さんてば、よう、父さん!」今まで椅子に坐って黙りこんでいた佝僂《せむし》の娘が、いきなり言ったかと思うと、ハンカチで顔を隠した。
「道化者!」窓のそばの娘がだしぬけに言う。
「まあ、あなた、家は今どんなことになっているか御覧なさいまし」と母親は両手を広げて、二人の娘を指さした、「まるで雲が湧き上がってるようなものですよ。雲が通り過ぎてしまうと また、がやがや始まるんですからね。まだ、わたしたちが軍人のお仲間にいました時分は、いろんな立派なお客様がたくさんお見えになったものです。なにも、あなた、何と比べるわけじゃありませんけど、愛してくれる人があったら、こちらもその人を愛してやらなけりゃな
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