っ子たちにシャンパンをふるまって、何千という金をまき散らしたものだ。三日たつと丸裸だったが、しかし鷹《たか》のような気分だったよ。ところで、その鷹がなんぞ思いを遂げたとでも思うかい? なんの、遠くの方から拝ませもしおらんのだ。曲線美、とでもいうのかなあ。グルーシェンカの悪党には、一つ得《え》も言えない肉体の曲線美があるんだ。そいつが足にも、左足の小指の先にまで現われているのだ。それを見つけて接吻したっきりだ――全く本当のことだよ! あいつは、こう言やがるんだ、『あんたは乞食同様だけど、お望みならお嫁に行ってあげるわ。もしあんたが、決してわたしを打ったりなんかしないで、あたしのしたいことをなんでもさせてくれるって言うのなら、お嫁に行ってあげてもいいわ』そういって笑ってやがるのさ。そして今でもやっぱり笑ってやがるんだ!」
 ドミトリイ・フョードロヴィッチは、まるで激昂《げっこう》したように座を立ったが、不意に彼は酔っ払ったようになった。彼の両眼は急に血走ってきた。
「で、本当に兄さんはその女《ひと》と結婚しようというんですか?」
「向こうがその気なら、すぐにもするし、いやだと言えば、このままでいてやる。あいつの家の門番にだってなるさ。ね、おまえ……アリョーシャ……」と彼は不意に弟の前へ立ちはだかって、その肩に両手をかけると、力いっぱいゆすぶった。「おまえのような無邪気な少年にはわからないだろうけれど、これはたわごとだよ、無意味なたわごとなんだよ。しかもそのなかに悲劇があるのだ、いいかい、アレクセイ、おれは卑しい堕落した煩悩《ぼんのう》をいだいた卑劣な人間かもしれないが、しかしドミトリイ・カラマゾフは泥棒や、掏摸《すり》や、掻っ払いには、断じてなり下がるはずがないだろう。ところが、今こそ聞いてくれ、おれは泥棒なんだ、掏摸なんだ、掻っ払いなんだ! ちょうどおれがグルーシェンカをひっぱたきに出かけるすぐ前、その同じ日の朝、カテリーナ・イワーノヴナがおれを呼んで、さしあたり誰にも知らさないように、秘密にして(何のためだかおれにはわからないが、そうする必要があったものとみえる)、これから県庁所在地の市《まち》へ出かけて、モスクワにいるアガーフィヤ・イワーノヴナ当てに、郵便為替で三千ルーブル送って来て欲しいと頼んだのだ。わざわざ県庁所在地からというのは、この町の人に知られたくないためだったのだ。この三千ルーブルをポケットへ入れたまま、おれはその時グルーシェンカのところへ出かけたのだ。そしてその金でモークロエ村へ出かけたわけだ。あとで、おれは、さも市《まち》へ飛んで行ったようなふりをして、為替の受け取りも出さないで、金は送ったから受け取りもすぐ持って来るとは言いながら、いまだに持ってなぞ行かないでいるのさ。忘れましたってわけでね。そこでどうだろう、これからおまえが行ってあの女《ひと》に、『兄がよろしく申しました』と言ったら、あの女は『で、お金は?』って聞くだろう。そうしたら、おまえはこんな風に言ったってかまわないよ、『兄は卑劣な好色漢です、欲情を押えることのできない下等動物です。兄はあの時あなたの金を送らないで、下等動物の常として衝動に打ち勝つことができないで、すっかり使ってしまったのです』が、しかし、こう言い足したっていいわけだよ。『それでも兄は泥棒ではありません、そら、ここにあなたの三千ルーブルがあります。どうぞ御自身でアガーフィヤ・イワーノヴナへお送りください。で、当の兄は、よろしくと申しました』するとあの女は『どこにお金がありますの』って聞くだろうな」
「ミーチャ、あなたは不仕合わせな人ですね、ほんとに! でも、まだ兄さんが自分で考えているほどでありませんよ――あまり絶望して、自分を苦しめないほうがよろしいよ!」
「おまえはその三千ルーブルが手に入らなかったら、おれが拳銃自殺でもすると思うのかい? そこなんだよ、おれは自殺なんかしやしない。今はそんな元気がないんだ。そのうちにあるいはやるかもしれないが、今はグルーシェンカのところへ行くんだ……おれの一生なんかどうなったってかまうものか!」
「あの女《ひと》のとこへ行ってどうするんです?」
「あの女の亭主になるんだよ、配偶《つれあい》にしていただくのさ。もし情夫《まぶ》がやって来たら次の間へはずしてやるよ。そして彼女《あいつ》の友だちの上靴も磨いてやろうし、湯沸《サモワール》の火もおこそう、使い走りだっていとやしないよ……」
「カテリーナ・イワーノヴナは何もかもわかってくれますよ」と、不意にアリョーシャは真顔になって、口をいれた。「この悲しい出来事の深い点をすっかり了解して、許してくれますよ。あの人には立派な理性がありますから、兄さん以上に不幸な人のあり得ないことは、あの女《ひと》にだってわかりますもの」
「あの女はけっして許してなんかくれないよ」と、ミーチャは苦笑いをした。「この中には、どんな女だって許してくれることのできないようなものがあるのだ。おまえは、どうするのがいちばんいいか知ってるかい?」
「どうするのです?」
「あの女に三千ルーブル返してやるのだ」
「でも、どこでその金を手に入れるんです? ああそうだ、僕の金が二千ルーブルあるでしょう、それにイワン兄さんだってやはり千ルーブルくらい出してくれましょう、それでつごう三千ルーブルになりますよ。それを持って行ってお返しなさい」
「しかし、それがいつ手にはいるんだい、おまえのいうその三千ルーブルがさ。それに第一、おまえはまだ丁年に達していないんだからなあ。いや、どうあってもぜひ今日、あの女のところへ出かけて、よろしくを言ってくれなくちゃならんよ。金を持ってか、それとも持たずにか、とにかく、もうこれ以上のばすわけにはいかぬ。そういうぎりぎりまで差し迫ってしまったのだ。明日ではもう遅いんだ。おれはおまえに親爺のところへ行って来てもらいたいんだ」
「お父さんのところへ?」
「うん、あの女のとこより先に親爺のとこへ。そして三千ルーブルもらって来てくれるんだ」
「だって、ミーチャ、お父さんは出してくれやしませんよ」
「出してくれるはずはない、くれないことは承知のうえだよ。なあ、アリョーシャ、絶望ってどんなものか知ってるかい?」
「知っています」
「まあ聞けよ、親爺は法律的にはおれに一文だって負い目はないさ。おれがありったけ引き出しちまったんだから、それはおれも承知だよ。しかし精神的には、親爺はおれに義務があるよ、なあ、そうじゃなかろうか? 親爺は母の二万八千ルーブルを元手にして、十万からの財産をもうけ出したんだからなあ。親爺がもしその二万八千ルーブルのうち、たった三千ルーブルだけおれにくれさえすれば、おれの魂を地獄から救い出して、親爺にしてもたくさんな罪障の償いになるというものだ。おれはその三千ルーブル――おまえに誓っておくが――きれいさっぱりかたをつけて、この後おれの噂ひとつ親爺の耳へ入れるこっちゃないんだ。つまり、これを最後に、もう一度だけ父となる機会を親爺に提供してやるんだ。親爺にそう言ってやってくれ、この機会こそ神様がお授けになるのだって」
「ミーチャ、お父さんはどんなことがあっても出してくれやしませんよ」
「知ってるよ、出さないってことは百も承知さ。まして、今はなおさらなんだよ。さっきの話のほかに、おれはまだこんなことを知ってるんだ。ついこのごろ、ほんの二、三日前、いや、ひょっとしたらまだ昨日あたりかもしれんが、親爺は、グルーシェンカがほんとに冗談でなしにおれと不意に結婚するかもしれないってことをはじめてまじめに[#「まじめに」に傍点](このまじめにという点に気をつけてくれ)かぎだしおったのだ。親爺もあいつの気性を知ってるんだよ。あの牝猫のさ。だから、あの女にうつつを抜かしている当の親爺が、この危険を助長するために、わざわざおれにお金を出してくるはずはないさ。しかしまだ、それだけじゃない、もっと重大なことを聞かしてやるよ。それはこうだ、もう五日ほど前に、親爺は三千ルーブルの金を抜き出して百ルーブルの札にくずし、大きな封筒に入れて封印をべたべた五つも押した上に、赤い紐を十文字にかけたものだ。どうだい、実に詳しく知ってるだろう! 封筒にはこういう上書きがしてあるのさ、『わが天使なるグルーシェンカへ――もしわがもとに来たりなば』これはしんと寝静まった時こっそり自分で書きつけたのだ。こんな金が寝かしてあることは下男のスメルジャコフの他には誰ひとり知る者はない。この男の正直なことを、親爺はまるで自分と同じくらいに信じきっているんだからな。ところで、親爺はもう今日で三日か四日、グルーシェンカがその金包みを取りに来るのを当てにして、待ちあぐねているんだよ。親爺のほうから知らせてやったので、あの女からも『行くかもしれない』という返事があったそうだ。だからもしあの女が親爺のところへやって来るようなら、おれはあの女といっしょになんかなれやしないだろう? なんでおれはこんな所に内緒で坐っているのか、何を見張っているのか、これでおまえにも合点がいったはずだな」
「あの女《ひと》を見張ってるんでしょう?」
「そうだよ。ところで、ここのお引摺《ひきず》りの家の小部屋をフォマという男が借りてるんだよ。このフォマは土地の者で兵隊あがりの男なのさ。夜だけ、ここで夜番に使われていて、昼間は松鶏を撃ちに出かけたりしているのだ。おれはまんまとこの男のところへはいり込んでいるんだが、この男も、ここの家の母娘もおれの秘密は知らないのだ。つまり、おれがここで何を見はってるかってことを知らないんだよ」
「スメルジャコフだけが知ってるんですね!」
「あいつだけだよ。もし女が老いぼれのところへ来たら、あいつが知らせる手はずなんだ」
「金包みのことを兄さんに話したのもあの男ですね?」
「あいつさ。だがこれは絶対の秘密なんだよ。イワンにさえ、金のことはおろか、なんにも知らしてないんだから。ところで、親爺は二、三日のあいだ、イワンをチェルマーシニャへやろうとしているんだよ。森の買い手がついて。なんでも八千ルーブルとかで木を切り出させるんだとさ。それで親爺は、『手助けをするつもりで、行って来てくれ』と、イワンを口説《くど》いているところだが、二、三日はかかる用事なんだ。これはつまり、イワンの留守にグルーシェンカを引き入れようという肚だよ」
「それじゃ、お父さんは今日にも、グルーシェンカが来るかと待ってるわけですね」
「いや、あの女は今日は来ない。ちゃんと徴候があるんだ。きっと来やしないよ!」と、突然、ミーチャは叫んだ。「スメルジャコフもそう考えてるのさ。親爺は今イワンと差し向かいで酒を飲んでいるんだよ。ひとつ出かけて三千ルーブルもらって来てくれないか……」
「ミーチャ、兄さん、どうなすったの!」と、アリョーシャは床几から飛び上って、逆上したようなドミトリイ・フョードロヴィッチの顔を見つめながら叫んだ。一瞬間、彼は兄が気ちがいになったのではないのかと思った。
「おまえこそどうしたんだい? おれは気は確かなんだよ」こう、じっと、妙にきまじめな色さえ浮かべて、弟の顔を見つめながら、ドミトリイ・フョードロヴィッチが言った。「なるほど、おれはおまえに親爺のところへ使いに行ってもらおうとしているが、自分のしゃべってることはちゃんとわかっているよ。おれは奇跡を信じているから」
「奇跡を?」
「うん、神慮の奇跡をさ。神様にはおれの胸の中がよくおわかりだ。神様はおれの絶望を見ぬいていてくださる。この画面を残らず見通しておいでになるのだ。神様が、何か恐ろしいことのもちあがるのをみすみす見のがしておおきになるだろうか? アリョーシャ、おれは奇跡を信じるよ。さあ行って来てくれ!」
「じゃ行って来ます。で、兄さんはここに待っててくれますね?」
「待ってるとも、多少時間のかかることはわかってるし、そういきなり切り出すわけにもいくまいからさ! それに今ごろは酔っぱらっているだろうし。待ってるよ、三時間でも
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