した財産を持っているうえに、まだこのさき、ずっと大きな遺産を相続することになっていた。アリョーシャとは親友であった。
ミウーソフの馬車からだいぶ遅れて、二頭の青鹿毛《あおかげ》の老馬に引かせた、ひどく古びてがたがたする、だだっ広い辻馬車に乗って、フョードル・パーヴロヴィッチが息子のイワン・フョードロヴィッチといっしょに乗りこんで来た。ドミトリイ・フョードロヴィッチは、きのう時刻も日取りも知らしてあったのに遅刻した。一行は馬車を囲いの外の宿泊所に乗り捨てておいて、徒歩《かち》で修道院の門をはいった。フョードル・パーヴロヴィッチ以外の三人は、これまで一度も修道院というものを見たことがないらしい。ミウーソフに至っては、もう三十年ばかりのあいだ、教会へさえ足踏みをしないくらいである。彼は取ってつけたようなゆとりを表わした好奇の眼で、あたりを見回していた。しかし修道院の中へはいっても、本堂や塔や庫裡《くり》の建物――それもきわめて平凡なものであった――のほかには、彼の観察眼に映ずるものは何一つなかった。本堂からは、最後に残った参詣者たちが、帽子を取って十字を切りながら出て来た。それらの庶民階級
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