いうわけではないけれど、なんとか穏便に話がつくかもしれない。それに長老の高い地位や人物が、何か和解的な示唆を与えないとも限らないから、というのであった。これまで、一度も長老をたずねたことも、顔を見たこともないドミトリイは、もちろん、長老をもちだして、自分をおどしつけようという肚《はら》だなと思ったが、最近、父との争いに際して、ともすれば乱暴な挙動に出たがる自分自身を、内々心にとがめていたやさきであったから、彼もその相談に乗ったのである。ちなみに、彼はイワン・フョードロヴィッチのように父の家にいないで、町はずれに別居していた。当時この町に逗留《とうりゅう》していたピョートル・アレクサンドロヴィッチ・ミウーソフが、むしょうにこのフョードル・パーヴロヴィッチの思いつきに賛成した。四、五十年代の自由主義者であり、また自由思想家で無神論者たる彼は、退屈しのぎのためか、それとも気軽な慰み半分にか、とにかくこの事件に非常に力を入れた。彼は急に、修道院や『聖者』が見たくなったのである。で、例の領地の境界や、森林の伐採権や、川の漁業権など、いろいろの事柄に関する古い係争がなお引き続き、修道院相手の訴訟が
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