。また女どもは彼の方へ子供を差し出したり、病める『憑《つ》かれた女』を連れて来た。長老は彼らとことばを交え、短い祈祷を唱え、祝福を与えて、彼らを退出させるのであった。最近では、病気の発作のため、ときとすると、僧房を出るのもむずかしいほど衰弱してしまうことがあったので、巡礼者たちはよく数日のあいだ、彼が出て来るのを修道院で待ち受けていた。どうして彼らがこれほど長老を愛慕するのか、なぜ、彼らは長老の顔を見るやいなや、その前に身を投げてありがた涙にむせぶのか、それは、アリョーシャにとってはなんの疑問にもならなかった。おお、彼はよく理解していた! 常に労苦と災禍に、いや、それよりもいっそう、日常|坐臥《ざが》の生活につきまとう不公平や、自己の罪のみならず世間の罪にまで苦しめられている、ロシア庶民の謙虚な魂にとっては、聖物もしくは聖者を得て、その前にひれ伏してぬかずくこと以上の、強い要求と慰謝はないのである。『よしわれわれに罪悪や、虚偽や、誘惑があってもかまわない。その代わり地球の上のどこかに聖者高僧があって、真理を保持している。その人が真理を知っている。つまり真理は地上に滅びてはいないのだ。し
前へ
次へ
全844ページ中77ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中山 省三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング