向いて行ったよその県から娶《めと》ったのである。フョードル・パーヴロヴィッチは放蕩もし、酒も飲み、乱暴もしたが、自分の資本の運用はけっしておろそかにはしなかった。もちろん、そのやり方はほとんどいつもきたなかったが、自分の商売にかけてはなかなか巧妙に処理したものであった。ソフィヤ・イワーノヴナはさる貧しい補祭の娘であったが、いわけないころから寄るべない『孤児《みなしご》』の一人となって、有名なヴォーロホフ将軍の未亡人で、彼女にとっては恩人であり、養育者でありながら、それでいて同時に迫害者でもあった老婦人の裕福な家に成長した。詳しい話は知らないが、ある時のこと、この気立てのすなおな、悪気のない内気な養女が、自分で納屋の釘に輪索《わなわ》をかけて、首をくくろうとしたところをおろされたとかいうことだけは耳にしている。それほど彼女はこの老婆の絶え間のない小言や移り気に耐えてゆくのがつらかったのであるが、その実、この老婆は、見たところ、別に意地の悪そうなところもなく、ただ、安逸な生活のために、どうにも我慢のならない強情な人間になっていたのであった。
 フョードル・パーヴロヴィッチが結婚を申しこむと
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