くのあいだ、いったいどんな子供のことが話題にのぼっているのか、さっぱり合点がいかぬといった風で、自分の家のどこかにそんな小さな息子がいたのかと、びっくりしたような顔つきをしてみせたとのことであった。たとい、ピョートル・アレクサンドロヴィッチの話に誇張があるにしても、しかもなお真実らしい何ものかがあったに相違ない。しかし、事実において、フョードル・パーヴロヴィッチは一生涯、何かだしぬけに人を驚かせるような芝居を打ってみせるのが大好きで、それも、時としては、別になんの必要もないどころか、たとえば、今の場合のように、みすみす自分の損になることさえいとわないのであった。もっとも、こうした傾向は、ひとりフョードル・パーヴロヴィッチばかりに限らず、多くの人、ときにはかなりに聡明な人にさえも、ありがちなものである。ピョートル・アレクサンドロヴィッチは熱心に事を運んで、フョードル・パーヴロヴィッチと共に子供の後見人にまでなってやった。というのは、やはり母親が亡くなっても小さな持ち村や、家作や地所などが残っていたからである。こうしてミーチャはこの又|叔父《おじ》のところに引き取られたが、この人は自分の家
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