産をもっていた。彼の立派な領地はこの町を出はずれたところにあって、ここの有名な修道院の地所と境を接していた。ピョートル・アレクサンドロヴィッチはまだほんの若い時分に遺産を相続するやいなや、よくはわからないが、何か川の漁業権とか、森の伐採権とかのことで、この修道院を相手にはてしのない訴訟を起こしたものであった。彼は『僧侶』たちを相手どって訴訟を起こすのを、公民としてまた教養人としての義務だと心得ていた。ところで、かれはアデライーダ・イワーノヴナのことは、もちろん今もなお記憶にとどめ、かつては心を引かれたこともあったが、この女の身の上をすっかり聞かされ、またミーチャという子供ののこっていることを知るとフョードル・パーヴロヴィッチに対する青年らしい義憤と侮蔑《ぶべつ》を感じながらも、この事件にかかわりあうこととなったのである。そこで、はじめてフョードル・パーヴロヴィッチなる者を知った。彼はいきなり、子供の養育を引き受けたいと申しいでた。彼がその後、フョードル・パーヴロヴィッチの特徴を示す好資料だといって、長いあいだ語りぐさとしたところによれば、彼がミーチャのことを話しだしたとき、相手はしばら
前へ
次へ
全844ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中山 省三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング