望はあるまい。なぜといって、ロシアの犯罪者はまだ信仰をもっているからじゃ。実際そのときにはどんな恐ろしいことがもちあがるかもしれぬ――犯罪者の絶望的な心に信仰が失われたら、そのときはどうなるのじゃ? しかし教会は優しいいつくしみ深い母親のように、実行的な処罰は差し控えておるのじゃ。さなきだに罪人は、国法によって恐ろしい刑罰を受けておるのじゃから、せめて誰か一人でもそれをあわれむ者がなくてはならぬ。しかし教会が処罰を差し控えるおもなる原因は、教会の裁判は真理を包蔵する唯一無二のものであって、したがって、たとえ一時的な妥協にもせよ、他のいかなる裁判とも本質的、精神的に結合することが不可能であるからじゃ。この場合いいかげんなごまかしはとうてい許されませぬ。なんでも、外国の犯人はあまり改悛《かいしゅん》するものがないとのことじゃ。つまり、それは現代の教育が、犯罪はその実犯罪ではなくて、ただ不正な圧制力に対する反抗である、という思想を鼓吹しておるからじゃ、社会は絶対の力をもって、全然機械的に犯罪者を自分から切り離してしまう。そしてこの追放には憎悪が伴う(少なくともヨーロッパでは、彼ら自身が言って
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