「それに、そのときは屋根裏からおっこちたっていうじゃないか」
「屋根裏へは毎日上がりますからね、明日にもまた屋根裏からおっこちないものでもありませんよ、もし屋根裏でなければ、穴蔵へおっこちるかもしれません、穴蔵へ行く用事も毎日ございますからね」
 イワン・フョードロヴィッチは長いあいだ、彼をじいっと見つめていた。
「何か小細工をしているな、ちゃんと見え透いてるぞ、第一おまえの言うことはどうもよくわからん」と低くはあったが、なんとなくおどしつけるような調子で彼は言った。「どうだおまえは明日から三日のあいだ、癲癇のまねでもするつもりじゃないのか? え、おい?」スメルジャコフはじっと地面を見つめたまま、またしても右足の爪先でこそこそ悪戯《いたずら》をしていたが、今度は右足を元の所へ引っこめて、その代わりに左足を前へ出してから、顔を上げると、にやりと一つ薄笑いをして、こう言った。
「もしわたくしが、それをやるとしましても、つまりそのまねごとをするとしましても、――それは経験のある人には別にむずかしいことではありませんからね――わたくしは自分の命を助けるためにやることですから、それに対して十分な権利を持っているはずでございますよ、わたくしが病気で寝てさえいれば、たとえアグラフェーナ・アレクサンドロヴナが旦那のところへお見えになっても、病人をつかまえて『なぜ知らせなかった』と責めるわけにはまいりませんよ、御自分でも恥ずかしくお思いになることでしょうから」
「えい、畜生!」イワンは憤りのために顔をゆがめながら、不意に飛び上がった。「なんだって貴様は自分の命のことばかり心配してるんだ! そんな兄貴のおどし文句は腹立ちまぎれにすぎんさ、それっきりのことだよ、兄貴はおまえなんか殺しゃしないよ、もし誰かを殺すにしても、おまえじゃないよ!」
「蠅《はえ》かなんぞのようにたたき殺しておしまいなさいます、まず第一番にわたくしがやられるのです、しかし何より恐ろしいことが別にありますよ――つまり旦那に対して、何かばかなことでもしでかしなすった場合に、あの人と共謀《ぐる》のように思われるのが恐ろしいのでございます」
「どうしておまえが共謀《ぐる》のように思われるんだ」
「わたくしが共謀《ぐる》のように思われるわけは、例の合い図を、ごく内々でお知らせしたからですよ」
「合い図ってなんだ? そして誰に知らせたんだ? 本当にこいつめ、はっきり言わんか?」
「すっかり白状しなければなりません」いやに子細らしく落ち着いてスメルジャコフは引っぱるような物の言い方をした。「実は、わたくしとフョードル・パーヴロヴィッチとのあいだに、一つ秘密があるのです、御承知でもございましょうが(たぶん御承知でございましょうね)、旦那はこの三、四日、夜になると、いえ、早い時には宵の口から、部屋の内側から扉に鍵をおろしておしまいになります、もっとも、あなたはこのごろでは、毎日早く、二階の居間へ引っこんでおしまいになりますし、昨日はまるでどこへもおいでになりませんでしたから、おおかた御存じないかもしれませんが、旦那はこのごろ夜になると、念入りに戸締まりをなさるのでございます、それでグリゴリイ・ワシーリエヴィッチが行っても、声が確かにそうだとわからないあいだは、けっして扉をおあけになりません、ところで、グリゴリイ・ワシーリエヴィッチはあんまり来ませんから、今のところお居間のお世話をするのは、わたくし一人でございます――これはアグラフェーナ・アレクサンドロヴナの悶着《もんちゃく》が始まって以来、旦那が御自身でお決めになった手はずです、しかし夜になると、わたくしは旦那の言いつけで、傍屋《はなれ》のほうへさがってやすみますが、それでも夜半ごろまでは寝ずに、ときどき起きては庭を見回って、アグラフェーナ・アレクサンドロヴナのおいでを待ち受けていなくてはなりません、なにしろ旦那はこの二、三日というもの、まるで気ちがいのように、あの女を待ちきっておいでなんですから、旦那のお考えでは、あの女はお兄さんを、ドミトリイ・フョードロヴィッチを(旦那はいつもミーチカとおっしゃってですが)こわがっているから、夜もよっぽど遅くなってから、裏道を通ってお見えになるに違いない。『だから貴様はかっきり十二時までは、いや、もっと遅くまで見張りをしろ、もし、彼女《あれ》がやって来たら、居間の戸口へ走って来てたたいてもよし、庭から窓をたたいてもよい、だが、はじめの二つはこんな風にゆっくりたたいて、それから今度は早い目に三つとんとんとんとたたくのだ。そうすれば、わしはすぐ彼女《あれ》が来たのだと思って、そっと扉をあけてやるわい』と、こうおっしゃるのでございます、それから、もしなんぞ変わったことが起こった時のために、もう一つ別の合い図
前へ 次へ
全211ページ中202ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中山 省三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング