すっかり椅子から飛び上がった。
「僕はけっして言いつけに来たのじゃありません。ただありのままを話しただけです、……坊ちゃんをなぐっていただきたくはありません! それに今かげんが悪いようですし……」
「じゃあなたは本当に、わたしがあれをなぐるとでもお思いでしたか? いったい、わたくしがイリューシャをとっつかまえて、今すぐあなたの前で、御満足のゆくほど、なぐりつけると思ってらしったんでございますか? すぐそうして欲しいとおっしゃるんですか?」二等大尉は、まるで今にも飛びかかりそうな様子をして、急にアリョーシャの方へ振り向きながら、言うのであった、「いや、あなた様の指のことは全くお気の毒です。はい。しかし、イリューシャをなぐる代わりに、今すぐお眼の前で、そこにあるナイフでもって、十分あなたの気の済みますように、わたくしの指を四本、ずばりと切り落としてはいかがでございましょうね。指を四本なら、あなたの復讐の御希望が十分達せられるだろうと存じますが、よもや五本の指までは要求なさらんでしょうね?……」
彼は急にことばを切って、苦しそうな息づかいをしていた。その顔の線はことごとく、引っつりながら躍って、眼には恐ろしい、挑戦的な色が浮かんでいた。彼は夢中にでもなっているらしかった。
「僕はやっと何もかもわかったような気がします」アリョーシャはずっと坐ったまま、声低く、悲しそうに答えた。「つまり、坊ちゃんは――気だてのいいおかたで、お父さん思いなんですね、だから、父親を侮辱した者の兄弟として、僕に飛びかかったわけなんですね……僕はやっと、何もかもわかりました」と彼は考えこみながらくり返した、「しかし、僕の兄のドミトリイは自分のしたことを後悔しています。それは僕がよく承知しています。だから、兄がお宅へ来ることが、いや、それよりも、あの時と同じところであなたにまた、お目にかかることができたら、みんなの眼の前で兄はおわびするはずです……もしお望みとあらば」
「すると、なんですか、人の鬚《ひげ》を引っこ抜いたあげく、おわびをして、それでもう何もかもおしまいにして、罪滅ぼしをした……とでもいうんでございますね、ね、そうでしょう?」
「いいえ、どういたしまして、兄はなんでもお気に入るようにしましょうし、お望みどおりのことをいたします!」
「そんなら、もし、わたくしがあのかたに、前と同じ居酒屋――屋号は『都』と申しますが、そこでか、または町の広小路で、わたしの前へ膝《ひざ》をついてくださいとお願いしたら、そのとおりにしてくださるでしょうかね?」
「しますとも、むろん、兄は膝をつきますとも」
「ああ、胸にしみました! あなたはわたくしの涙をお絞りになりました、ああ、胸にしみるです! すっかりもう、お兄さんの寛大な心をお察しする気になりました。どうぞ十分に紹介の労をとらしてくださいまし、あれにおりますのが、わたしの家族で、娘が二人に息子が一人――みんな一つ腹のなんでございますよ。もしわたくしが死んだ日には、誰があれらを可愛《かわい》がってくれましょう? また、わたくしの生きているあいだ、あれらを除けて、誰が、こんないやらしい親爺に目をかけてくれましょう! これこそ、わたくしのような人間に、神様が定めてくだすった大きな事業でございますよ。実際、わたくしのような人間は、誰かに愛してもらわなくちゃなりませんからね……」
「ええ、それはおっしゃるとおりです!」アリョーシャは叫んだ。
「まあ、たくさんだわ、ばかなまねはいいかげんにしなさいよ。どこかのばか者がやって来れば、すぐもう、あんたは恥っさらしなことばかりなさるんですもの!」不意に、窓のそばに立っていた娘が父に向かって、気むずかしそうな人をばかにしたような顔をして、思いがけなくこう叫んだ。
「まあ、ちょっとお待ち、ワルワーラさん、言いかけたことをついでにしまいまで言わしておくれ」と父親は叫んだ。号令でもかけるような口ぶりであったが、しかもその眼つきは、大いにわが意を得たりというような風であって、「この子はどうもああいう性分でございましてね」と彼はまたアリョーシャのほうを向いた、
[#ここから2字下げ]
「ありとある自然のうちに
何ものをも頌《たた》うるを欲せざりき。
[#ここで字下げ終わり]
いや、これは女性にして、彼女にしなくちゃなりませんね。ところで、今度は失礼ですが、家内を紹介しましょう。これがアリーナ・ペトローヴナと申し、年は四十で、足のない婦人でございます。いやなに、歩くことは歩きますが、ほんの少しばかりなんでして。素性の賤《いや》しい者でございますよ。おい、アリーナさん、そんなにへんな顔をするのはよせよ。このおかたはアレクセイ・フョードロヴィッチ・カラマゾフさんだよ。お立ちなさい。カラマゾフさんだ
前へ
次へ
全211ページ中147ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中山 省三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング