んなに、兄さんというお友だちを失うのが残念だとおっしゃっても、やはり兄さんの出立が嬉しいと、当人に面と向かって言ってらっしゃるようなものですよ……」もう全く息を切らしながら、アリョーシャが言った。彼はテーブルのそばに突っ立ったまま、腰をかけようともしなかった。
「いったいあなたは何を言ってらっしゃるんですの。わたし、わかりませんわ……」
「そう、僕自身でもよくわからないんです……僕はふっと、そんな気がしたんです、もちろん、こんなことを言うのは、よくないってことは僕も知っていますが、やはり、それでも、すっかり言ってしまいましょう」アリョーシャは相変わらず、とぎれがちな震え声でことばを続けた。
「ふっと、そんな気がしたというのは、あなたはドミトリイ兄さんを……最初から、……ちょっとも愛していらっしゃらなかったのかもしれないし、……兄さんだって、やはり、あなたを、少しも愛していなかったのではないかしら……そもそもの初めから、……ただ尊敬しているだけだと、そう思ったんですよ。全く僕はどうして今こんな大胆なことが言えるのか、われながら不思議なくらいですが、しかし、誰か一人くらい本当のことを言う人がいなくちゃなりませんね、……だって、ここでは誰ひとり本当のことを言う人がいないんですからね」
「本当のことって何ですの?」カテリーナは叫んだが、なんとなくヒステリックなものが、その声にひびいていた。
「じゃ申し上げましょう」思いきって屋根の上からでも飛び下りるかのように、あわただしくアリョーシャはつぶやいた、「今すぐドミトリイをお呼びなさい――僕が捜してあげましょう、――そして、兄さんがここへ来たら、まず、あなたの手を取ろうとして、そのあとでまた、イワン兄さんの手を取らせ、そうして二人の手を結びつけてもらうのです。なにしろ、あなたはイワン兄さんを愛していらっしゃるために、かえって愛する兄さんを苦しめてらっしゃるからです、……ところが、なぜ苦しめなさるのかと申しますと、それはドミトリイに対するあなたの愛が、発作的なものだからです……偽りの愛だからです、……なぜそうなったかと言いますと、あなたが御自分で御自分を説き伏せていらして……」
アリョーシャは急にことばを切って、黙りこんでしまった。
「あなたは……あなたは……あなたは、ちっぽけな信心きちがいです、それきりの人です!」カテリーナは、すっかり顔の色をなくして、憤りのために唇をゆがめながら、いきなり、かみつくように言った。イワンはだしぬけに、声を立てて笑いだしたかと思うと、席を立った。彼は帽子を手にしていた。
「おまえは勘違いしてるよ、アリョーシャ」と言って、彼はいまだかつてアリョーシャの見たことのないような妙な表情を浮かべた。それは若々しいまじめさと、押さえることのできないほど力強い、露骨な感情の表われであった。「カテリーナさんはけっして僕を愛したことなんかありゃしないよ。一度も、口に出して言ったことはないけれど、僕がカテリーナさんを愛してるってことは、御自分でちゃんと承知していたんだ。ところが、僕を愛してはいなかったんだよ。また僕は一日だって、この人の友だちだったこともないんだ。気位の高い婦人は、僕なんかの友情を必要としないからね。この人が僕をそばへ引き寄せたのは、ひっきりなしに復讐《ふくしゅう》をしたいためだったのさ。はじめて会ったとき以来ずっと、ドミトリイから絶えず受けていた侮辱の恨みを、僕に向けてもたらしていたんだ。実際、ドミトリイと最初に会ったことさえ、この人の心には侮辱として刻みつけられているんだ。この人はこういう心を持った人なんだよ! 僕はいつもいつも、この兄貴にたいするおのろけばかり聞かされたわけなんだ。もう僕はここを去ってしまいます。しかしね、カテリーナさん、あなたは本当に、兄貴ひとりを愛しておいでになったんですから、そのことは御承知を願いますよ。兄貴の侮辱が激しくなるにつれて、あなたの愛もしだいに募っていくというものです。これがあなたの気ちがいじみた要求なんです。あなたは今のままの兄貴を愛しておいでになりますね、あなたを侮辱する兄貴を愛しておいでになります。もしも、兄貴の身持ちが改まったら、あなたはすぐに愛想をつかして、すててしまうに相違ありません。兄貴があなたにとって必要なのは、いつも御自分の御立派な貞操を頭において、兄貴の不実を責めたいからにすぎません。これというのも、皆あなたのうぬぼれから起こるのです。ええ、むろん、その中にはずいぶん屈従しなければならないところもあり、自分を卑下しなければならない場合もあります。しかし、とにかく、いっさいのことはプライドから来ているのです、……僕はあまり若すぎたので、あまりひどく、あなたを愛しすぎたのです。こんなことはまるっきり言う必
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