どかうした深処にあつて、幽に、力強く流るるものだ。この本流のまことの生命力を思はねばならない。
私は隆太郎の首をしつかと後ろから抱いた。
彩雲閣へ戻ると、小坊主は直ぐと名古屋へ帰ると言ひ出した。名古屋の伯母さんは、昨夜この子の母に長距離の電話をかけてゐた。「病気でもされると申訳がありませんしね。それにお菊さんもまだ一度も里帰りしないのですから丁度いい折ですし、呼びませうか。」といふことであつた。それに従兄弟たちは大勢だし、汽車や電車の玩具はあるし、都会は壮麗だし、何か早く帰りたいらしかつた。
「ぢやあ、さうするか。たのむよ。」と私は甥の八高生にその子を託した。
空は薄明となる。パッと園内のカンツリーホテルに電燈がつく。白、白、白、給仕とテーブル。
かへろかへろと、どこまでかへる。
赤い燈《ひ》のつく三丁さきまでかへる。
かへろが啼くからかァへろ。
竝木の鈴懸の間を、夏の遊蝶花の咲き盛つた円形花壇と緑の芝生に添つて、たどたどと帰つてゆく幼年紳士の歌声がきこえる。
「おうい。」
私は二階の欄干へ出て、両手をあげる。
「ほうい。」
向うでもこちらを見て両手をあげる。
白いかたわれ月は黄に明るく匂つて来る。さうしてその空の、私からは見えぬほのかに白い白帝城を、私の小さい分身の子どもが、立つて、停つて、仰いでゐる。
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ちかぢかと城の狭間《さま》より見おろしてこずゑの合歓《ねむ》のちりがたのはな(白帝城)
花火過ぎ水にただよふ椀殻《わんがら》は鳰《にほ》の鳥よりなほあはれなり
(犬山より木曾川を下る)
水車船瀬々にもやひて搗く杵のしろくかそけき夏もいぬめり
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底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」
1927(昭和2)年7月
※初出紙に「木曽川」と題して連載したものの一部である旨が、底本の巻末に記載されている。
※疑問箇所の確認にあたっては、「白秋全集 22」岩波書店、1986(昭和61)年7月7日発行を参照しました。
入力:林 幸雄
校正:浅原庸子
ファイル作成:
2004年5月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozor
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