車はゆくゆく

汽車はゆくゆく、二人《ふたり》を載せて、
空のはてまでひとすぢに。
今日は四月の日曜《どんたく》の、あひびき日和《びより》、日向雨《ひなたあめ》、
塵にまみれた桜さへ、電線《はりがね》にさへ、路次にさへ、
微風《そよかぜ》が吹く日があたる。
街《まち》の瓦を瞰下《みを》ろせばたんぽぽが咲く、鳩が飛ぶ、
煙があがる、くわんしやん[#「くわんしやん」に傍点]と暗い工場の槌が鳴る
なかにをかしな小屋がけの
によつきりとした野呂間顔《のろまがほ》。
青い布《きれ》かけ、すつぽりと、よその屋根からにゆつと出て
両手《りやうて》つん出す弥次郎兵衛|姿《すがた》、
あれわいさの、どつこいしよの、堀抜工事の木遣《きやり》の車、
手をふる、手をふる、首をふる――
わしとそなたは何処《どこ》までも。

汽車はゆくゆく、二人を乗せて
都はづれをひとすぢに。
鳥が鳴くのか、一寸と出た亀井戸駅の駅長も
芝居がかりに戸口からなにか恍然《うつとり》もの案じ、
棚に載《の》つけたシネラリヤ、
紫の花、鉢の花、色は日向《ひなた》に陰影《かげ》を増す。
悪戯者《いたづらもの》の児守さへ、けふは下から真面目顔《まじめがほ》、
ふたつ並べたその鼻の孔《あな》に、眇眼《すがめ》に、まだ歯も生えぬ
ただ揉《も》みくちやの泣面《なきつら》のべそかき小僧が口の中《うち》
蒸気|噴《ふ》きつけ、驀進《まつしぐら》、パテー会社の映画《フイルム》の中の
汽車はゆくゆく、――空飛ぶ鳥の
わしとそなたは何処《どこ》までも。

汽車はゆくゆく、二人を乗せて、
広い野原をひとすぢに。
ひとりそはそは、くるりくるくる、水車《みづぐるま》
廻る畑《はたけ》のどぶどろに、
葱のあたまがとんぼがへりて泳ぎゆく、
ちびの菜種の真黄《まつき》いろ
堀に曳きずる肥舟《こえぶね》の重い小腹にすられゆく。
さても笑止や、垣根のそとで
障子張るひと、椿の花が上に真赤に輝けば
張られた障子もくわつと照る、
烏勘左衛門、烏啼かせてくわつと吹く
よかよか飴屋のちやるめらも
みんなよしよし、粉嚢《こなぶくろ》やつこらさと担《かつ》いで、
禿げた粉屋《こなや》も飛んでゆく。
蒸気|噴《ふ》き噴き、斜《はすかひ》に
汽車はゆくゆく……椿が光る。
わしとそなたは何処《どこ》までも。

汽車はゆくゆく二人を乗せて
空のはてまでひとすぢに。
硝子窓から微風《そよかぜ》入れて、
煙草吹かして、夕日を入れて、
知らぬ顔して、さしむかひ、――
下ぢや、ちよいと出す足のさき
ついと外《そら》せばきゆつと蹈む、――
雲のためいき、白帆のといき
河が見えます、市川が。
汽車はゆくゆく、――空飛ぶ鳥の
わしとそなたは何処までも。[#地から3字上げ]四十五年四月

  梨の畑

あまり花の白さに
ちよつと接吻《きす》をして見たらば、
梨の木の下に人がゐて、
こちら見ては笑うた。
梨の木の毛虫を
竹ぎれでつつき落し、
つつき落し、
のんびり持つた*喇叭で
受けて廻つては笑うた、
しよざいなやの、
梨の木の畑の
毛虫採のその子。
[#ここから2字下げ]
* 紙製の喇叭見たやうなもの
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]四十五年四月

  河岸の雨

雨がふる、緑いろに、銀いろに、さうして薔薇《ばら》いろに、薄黄に、
絹糸のやうな雨がふる、
うつくしい晩ではないか、濡れに濡れた薄あかりの中に、
雨がふる、鉄橋に、町の燈火《あかり》に、水面に、河岸《かし》の柳に。

雨がふる、啜泣きのやうに澄《す》みきつた四月の雨が
二人のこころにふりしきる。
お泣きでない、泣いたつておつつかない、
白い日傘《パラソル》でもおさし、綺麗に雨がふる、寂しい雨が。

雨がふる、憎くらしい憎くらしい、冷《つめ》たい雨が、
水面に空にふりそそぐ、まるで汝《おまへ》の神経のやうに。
薄情なら薄情におし、薄い空気草履の爪先に、
雨がふる、いつそ殺してしまひたいほど憎くらしい汝《おまへ》の髪の毛に。

雨がふる、誰も知らぬ二人の美くしい秘密に
隙間《すきま》もなく悲しい雨がふりしきる。
一寸おきき、何処かで千鳥が鳴く、歇私的里《ヒステリー》の霊《たましひ》、
濡れに濡れた薄あかりの新内。

雨がふる、しみじみとふる雨にうち連れて、雨が、
二人のこころが啜泣く、三味線のやうに、
死にたいつていふの、ほんとにさうならひとりでお死に、
およしな、そんな気まぐれな、嘘《うそ》つぱちは。私《わたし》はいやだ。

雨がふる、緑いろに、銀いろに、さうして薔薇《ばら》色に、薄黄に、
冷たい理性の小雨がふりしきる。
お泣きでない、泣いたつておつつかない、
どうせ薄情な私たちだ、絹糸のやうな雨がふる。
[#地から3字上げ]四十五年五月

  そなた待つ間

チヨンキナ、チ
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