ゥるい背広を

かるい背広を身につけて、
今宵《こよひ》またゆく都川、
恋か、ねたみか、吊橋の
瓦斯の薄黄《うすぎ》が気にかかる。
[#地から3字上げ]四十三年七月

  薄あかり

銀《ぎん》の時計のつめたさは
薄らあかりの※[#ローマ数字7、1−13−27]《しち》の字に、
君がこころのつめたさは
河岸《かし》の月夜の薄あかり。

薄いなさけにひかされて、けふもほのかに来は来たが、
心あがりのした男、何のわたしに縁があろ。

空の光のさみしさは
薄らあかりのねこやなぎ、
歩むこころのさみしさは
雪と瓦斯との薄あかり。

思ひ切らうか、切るまいか、そつと帰ろか、何とせう。
いつそあの日のくちつけを後《のち》のゆかりに別れよか。

水のにほひのゆかしさは
薄らあかりの鴨の羽、
三味のねじめのゆかしさは
遠い杵屋の薄あかり。

かるい背広を身につけてじつと凝視《みつ》むる薄あかり。
薄い涙につまされて、けふもほのかに来は来たが。

銀の時計のつめたさは
薄らあかりの※[#ローマ数字7、1−13−27]の字に、
君がこころのつめたさは
青い月夜の薄あかり。

恋か、りんきか、知らねども、ほんに未練な薄あかり。
思ひ切らうか、たづねよか、ええ何とせう、しよんがいな。
[#地から3字上げ]四十三年三月

  金と青との

金と青との愁夜曲《ノクチユルヌ》、
春と夏との二声楽《ドウエツト》、
わかい東京に江戸の唄、
陰影《かげ》と光のわがこころ。
[#地から3字上げ]四十三年五月

  雨あがり

やはらかい銀の毬花《ぼやぼや》の、ねこやなぎのにほふやうな、
その湿《しめ》つた水路《すゐろ》に単艇《ボート》はゆき、
書割《かきわり》のやうな杵屋《きねや》の
裏《うら》の木橋に、
紺の蛇目傘《じやのめ》をつぼめた、
つつましい素足のさきの爪革《つまかは》のつや、
薄青いセルをきた筵若の
それしやらしいたたずみ……

ほんに、ほんに、
黄いろい柳の花粉のついた指で、
ちよいと今晩《こんばん》は、
なにを弾かうつていふの。[#地から3字上げ]四十三年七月

  水盤

そなたの移した水盤《すゐばん》に、
薄い硝子の水の
微《かす》かな光、
新内のながしも通るのに、
ほんとに睡《ね》ちやつたの。

そなたの冷《つ》めたい手は
わたしの胸に、
薄いセルは
微《かす》かな涙に、
ほんとに睡《ね》ちやつたの。

そなたの寝息は
桐の花のやうに、
やるせないこころをそそのかし、
捉《とら》へかぬる微《かす》かな光。
ほんとに睡《ね》ちやつたの。

そなたのけふ入れた緋鮒《ひぶな》か、
それとも陶器《やきもの》の金魚かしら、
なにかしら寂《さみ》しい力《ちから》の
薄い硝子に触《さは》るやうな……
ほんとに睡《ね》ちやつたの。

そなたの知つてる男は
みんな薄情ものだ。
さうしてそなたが眠《ね》むつてから
何時でもこんな風にささやく、
ほんとに睡《ね》ちやつたの。[#地から3字上げ]四十三年七月

  心中

あはれなる心中のうはさより
わが霊《たま》は泣き濡れてかへりゆく、
花つけしアカシヤの並木のかげを、
嫋《なよ》やかなる七月のおとづれのごとく。

やすらかに平準《な》らされしこころは
あるものの抑圧《おさへ》のかげにありて、
つねにかかる微顫《ふるへ》をこそのぞみたれ。
いみじく幽かなるその Lied《リイド》 よ。

附《つ》きやすき花粉《くわふん》のしめりのごとく、
そはまた※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶた》の汗のごとくに顫《ふる》へやすし。
護謨輪《ごむわ》のゆけばためらひ、
吊橋の淡黄《うすき》なる瓦斯《がす》のもとを泣きゆく。

新道《しんみち》を抜《ぬ》けては
※[#「木+解」、第3水準1−86−22]の芽のむせびをあはれみ、
御神燈のかげをば
それしやの浴衣《ゆかた》ともすれちがふ。

とある河岸《かし》のおでんやには
寄席《よせ》のビラのかなしく、
薄汗《うすあせ》の光る紙に
水菓子の色透くがいとほし。

あはれなる心中のうはさより
わが霊《たま》は泣き濡れてかへりゆく、
微風《そよかぜ》の吹くままに過ぎゆく
嫋《なよ》やかなる七月のおとづれのごとく。[#地から3字上げ]四十三年七月

  花火

花火があがる、
銀《ぎん》と緑の孔雀玉《くじやくだま》……パツとしだれてちりかかる。
紺青の夜の薄あかり、
ほんにゆかしい歌麿の舟のけしきにちりかかる。

花火が消ゆる。
薄紫の孔雀玉……紅《あか》くとろけてちりかかる。
Toron …… tonton …… Toron …… tonton ……
色とにほひがちりかかる。
両国橋の水と空とにちりかかる。

花火があがる。
薄い光と汐風に、
義理と情《なさけ》の孔雀玉《く
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