ォいし》をゆく、
そのなかに溶《と》けつつあるものの小歌《リイド》。
やはらかによわく、ほそく、
そは裁縫機械《ミシン》のごとく幽かに、
いそがしく、
さまざまの光を放ちつつ滴《したた》る。
喪心《さうしん》のたのしさを聴け。
薄暗き地下室《セラ》の厨女《くりやめ》よ、
湯沸《サモワル》の湯気の呼吸《いき》も
玉葱のほとりにしづごころなし。
丸の内の三号、
その高き煉瓦より、筧より、また廂より、
かくれたる物の芽に沁《し》みたる無数の宝玉の溶解《ようかい》、
温かに劇薬のながれ湿《しと》る音楽……
わが憂愁は溶《と》けつつあり、
黄色く、赤く、みどりに、
屋根の雪は溶けつつあり、
光りつつ、つぶやきつつ、滴《したた》りつつ……[#地から3字上げ]四十三年六月
[#改丁]
[#ここから5字下げ、ページの左右中央に]
青い髯
[#ここで字下げ終わり]
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青い髯
五月《ごぐわつ》が来た。
硝子と乳房との接触《せつしよく》……桐の花とカステラ……
春と夏との二声楽《ヂユエツト》、冷めたい冬……
とりあつめた空気の淡《うす》い感覚に、
硝子戸のしみじみとした汗ばみに、
さうして、私の剃《そ》りたての青い面《かほ》の皮膚《ひふ》に、
黄緑《くわうりよく》の Passion を燃えたたせ、顫はす
日光の痛《いた》さ、
その眩《ま》ぶしい音楽は負傷兵《ふしやうへい》の鳴らす釣鐘のやうに、
恢復期《くわいふくき》の精神病患者がかぎりなき悲哀《ひあい》の Irony に耽けるやうに、
心も身体《からだ》も疲《つか》らした
その翌日《あくるひ》の私の弱い瞼《まぶた》のうへに、
キラキラとチラチラと苦《にが》い顫音《せんおん》を光らす、
強く絶えず、やるせなく……
午前十一時半、
公園の草わかばの傷《いた》みに病犬《びやうけん》の黄《きいろ》い奴《やつ》が駈けまわり、
禿げた樹木《じゆもく》の梢がそろつて新芽《しんめ》を吹く、
螺旋状《らせんじやう》の臭《にほひ》のわななきと、底力《そこぢから》のはづみと、
Whiskey の色に泡《あわ》だつ呼吸《いき》づかひと……
而《さう》して、わかい男の剃りたての面《かほ》の皮膚の下から
青い髯が萠える……
五月が来た。
どこかしらひえびえとした微風《びふう》が
閃《ひら》めく噴水《ふんすゐ》の尖端《さき》からしづれて、
ニホヒイリスや和蘭陀薄荷《おらんだはつか》のしめりを戦《そよ》がせ、
ぢつと、私が凝視《みつ》むる、
小酒杯《リキユグラス》の透明な無色《むしよく》の火酒《ウオツカ》を顫はし、
黄緑《くわうりよく》の外光《ぐわいくわう》を浴《あ》びた青年の面《かほ》のうへを、
なめらかに砥石《といし》のやうな青みを、
Poe の頬のやうな手ざはりを、
すいすいと剃刀《かみそり》のやうに触れる、
私は無言《むごん》で冷《つめ》たい小酒杯《リキユグラス》をとりあげ、
しみじみと赤い唇《くちびる》にあてる……
五月が来た、五月が来た。
楠《くす》が萠え、ハリギリが萠え、朴《ほう》が萠え、篠懸《すずかけ》の並木が萠える。
そうして、私の
新しいホワイトシヤツの下から青い汗《あせ》がにじむ、
植物性の異臭《いしゆう》と、熱《ねつ》と、くるしみと、……
芽でも吹きさうな身体《からだ》のだらけさ、
(何でもいいから抱《だ》きしめたい。)
萠える、萠える、萠える、萠える、
青い髯が
ウオツカの沁み込む熱《あつ》い頬《ほ》の皮膚《ひふ》から萠える。……
くわつとふりそそぐ日光、
冷《つめ》たい風、
春と夏との二声楽《ヂユエツト》、……緑《みどり》と金《きん》……
[#地から3字上げ]四十三年五月
五月
新しい烏竜茶《ウーロンちや》と日光、
渋味もつた紅《あか》さ、
湧きたつ吐息《といき》……
さうして見よ、
牛乳にまみれた喫茶店《きつさてん》の猫を、
その猫が悩ましい白い毛をすりつける
女の膝の弾力《だんりよく》。
夏《なつ》が来《き》た、
静《しづ》かな五|月《ぐわつ》の昼《ひる》、湯沸《サモワル》からのぼる湯気《ゆげ》が、
紅茶《こうちや》のしめりが、
爽《さわや》かな夏帽子《なつばうし》の麦稈《むぎわら》に沁《し》み込《こ》み、
うつむく横顔《よこがほ》の薄《うす》い白粉《おしろい》を汗《あせ》ばませ、
而《さう》してわかい男《をとこ》の強《つよ》い体臭《にほひ》をいらだたす。
「苦《くる》しい刹那《せつな》」のごとく、黄《き》ばみかけて
痛《いた》いほど光《ひか》る白《しろ》い前掛《まへかけ》の女《をんな》よ。
「烏竜茶《ウーロンちや》をもう一|杯《ぱい》。」
[#地から3字上げ]四十三年五月
銀座花壇
赤《あか》い花《はな》、小《ちひ》さい花《はな》
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