|Cafe'《カツフエ》〕 に Verlaine《ウエルレエヌ》 のあるごとく、
ことににくきは日光が等閑《なほざり》になすりつけたる
思ひもかけぬ、物かげの新しき土《つち》の色調。
またある草は白猫の柔毛《にこげ》の感じ忘れがたく、
いとふくよかに温臭《ぬるくさ》き残香《のこりが》の中に吐息しつ。
石鹸《シヤボン》の泡に似て小さく、簇《むらが》り青むある花は
ひと日|浴《ゆあ》みし肺病の女の肌を忍ぶごとく、
洋妾《らしやめん》めける雁来紅《けいとう》は
吸ひさしの巻煙草めきちらぼひてしみらに薫《く》ゆる
朝顔の萎《しぼ》みてちりし日かげをば見て見ぬごとし。

見よ、かかる日の真昼にして
気遣はしげに瞬《またた》ける瓦斯の火の病める瞳よ。
あるものは葱の畑より忍び来し下男のごとく、
またあるものは轢かれむとして助かりし公証人の女房が
甘蔗のなかに青ざめて佇むごとき匂しつ。
ことに正しきあるものはかかる真昼を
饐《す》え白らみたる鳥屋《とや》の外に交接《つが》へる鶏《とり》をうち目守《まも》る。

噫《ああ》、かかるもろもろの匂のなかにありて
薬草の香《か》はひとしほに傷《いた》ましきかな、
哀《あは》れ、そは三十路女《みそぢをんな》の面《おも》もちのなにとなく淋しきごとく、
活動写真の小屋にありて悲しき銀笛の音《ね》の消ゆるに似たり。

見よ、かかる日の真昼にして
気遣はしげに黄ばみゆく瓦斯の火の病める瞳よ。

あはれ、また
知らぬ間《ま》に懶《ものう》きやからはびこりぬ。
ここにこそ恐怖《おそれ》はひそめ。かくてただ盲人《まうじん》の親は寝そべり、
剃刀《かみそり》持てる白痴児《はくちじ》は匍匐《はらば》ひながら、
こぼれたる牛乳の上を、毛氈を、近づき来る思あり。
またその傍《そば》に、なにとも知れぬ匂して、
詮《せん》すべもなく降《くだ》りゆく、さあれ楽しくおもしろき
やぶれかかりし風船の籠に身を置く心あり。
あるは、また、かげの湿地《しめぢ》に精液のにほひを放つ草もあり。

見よ、かかる日の真昼にして
気遣しげに青ざめし瓦斯の火の病める瞳よ。

悩ましき黄の妄想の光線と、生物の冷《ひや》き愁と、
霊《たましひ》の雑艸園の白日《はくじつ》の声もなきかがやかしさを、
時をおき、揺り轟かし、黒烟《くろけぶり》たたきつけつつ、
汽車飛び過ぎぬ、かくてまたなにごともなし
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