「ろ》の光のなかに
太《ふと》くしてむくつけき黒人《こくじん》の手ぞ
働《はたら》ける……甘き甘きあるものを掻きいださんとするがごとく。

その前に負傷《ふしやう》したる敵兵《てきへい》三人《みたり》、――
あるものは白き布《ぬの》にて右の腕《かひな》を吊《つる》したり――
日に焼けたる絶望《ぜつまう》の顔をよせて
そこはかとなきかかる日の郷愁《ノスタルヂヤア》に悩むがごとく
珍《めづら》かにうち眺めたる……足もとの黄色《きいろ》なる花
湿りたる土の香《か》のさみしさに※[#「日/咎」、第3水準1−85−32]《かげ》りつつうち凋《しを》る。

鐘は鳴る……銀色《ぎんいろ》の教会《けうくわい》の鐘……

硝子※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]《がらすまど》のなかには
薄色《うすいろ》の青き眼《め》がねをかけたる女、
かりそめのなやみにほつれたる髪かきあげて、
薬罎《くすりびん》載せたる円卓《ゑんたく》のはしに肱《ひぢ》つきながら
金字《きんじ》見ゆるダンヌンチオの稗史《はいし》を閉《とざ》し、
静かなる杏仁水《きやうにんすゐ》のにほひにしみじみときき惚《ほ》れてあり。

ああ午後三時の郷愁《ノルタルヂヤア》……

   ※[#ローマ数字2、1−13−22] S組合の白痴

夕まぐれ、石油問屋《せきゆどひや》の|S組合《エスくみあひ》の入口に、
つめたき硝子戸《がらすど》のそと、
うち潤《しめ》る石油色《せきゆいろ》の陰影《いんえい》の中《うち》、薄《うす》ら光《ひか》る銀《ぎん》の引手《ひきて》のそばに
薄白痴《うすばか》のわかきニキタは紫の絹ハンケチを頸《くび》にむすび、
今日《けふ》もまたのんべりだらりと立《たち》ん坊《ぼう》の河岸の
便所に凭《もた》るるごとく、
のろまな
その鈍《にぶ》き容態《なりふり》のいづこにか猾《ずる》き眼《め》を働《はた》らかせにやにやと笑ひつつあり。

日は向《むか》う河岸《がし》の家畜病院《かちくびやうゐん》の頽《すた》れたる露台《バルコン》を染め、
入口の硝子戸の前に薬《くすり》塗《ぬ》らるる色|黄《き》なる狂犬《きやうけん》を染め、
隣《とな》れる健胃固腸丸《けんゐこちやうぐわん》の広告に苦《にが》き光を残しつつ沈みゆく。

S組合の薄白痴《うすばか》は
石油ににじむ赤き髪《け》に雑種児《あひのこ》の矜《ほこり》を思ひ
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